数字で振り返るLlancot Railway 2021

Google Sheetに打ち込んでいる記録から今年も引っ張り出してみました。

お買い物傾向

まずは今年の店別集計。

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次に開始から4年分の種類別変遷。

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レイアウト製作がひと段落したこともあって、今年はほとんどを車両購入に充てたという結果に。まだ未発売のプレオーダー品が残っているので、この傾向は来年も続きそうです。

在籍車両傾向

今年は72両増えて、計240両となりました。Wagonの伸びが顕著。

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Pre GroupingのEra2と蒸機の最晩年であるEra5は、今後も伸ばして行きたい領域です。

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昨年は6位だったAccurascaleが3位に。だいぶ増えてきました。期待していたHattons Genesis Coachが空振りに終わったので、来年こそは是非お願いしたいところ。

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以上、2021年のレポートでした!

ツイートで振り返るLlancot Railway 2021

年末企画として、今年の鉄道模型関係のツイートのハイライトを集めてみました(という名の自分語り)。ちなみに昨年のものはこちら。

January

今年はIORI工房さんのハ1005製作から始まりました。

塗装のためにエアブラシとブースを導入。

キット製作以外にも完成品のウェザリングなど、圧倒的に塗装の幅が広がりました。これは本当に買ってよかった。マジおすすめです。

February

今年の#TwitterModelTrainShowはハ1005の製作で参戦。

あれ、Part2が見当たらない... まぁいいか。

March

3月プロジェクトはSignal Boxでした。

中身も作りましてですよ。

April

Stanier 8F 2-8-0とGWR City Class 4-4-0が運用を開始。

GWR Class 1361のStay Alive化もしました(地味にこれはやってよかった)。

May

エアブラシが早速ウェザリングに威力を発揮。

このタイミングでHornbyプレオーダーキャンセル祭り発生。Retailerのtiering導入によるものですが、カスタマーを巻き込んでまでやることなのか、全く理解できません。

5月後半からは電飾シリーズがスタートしました。まずはBrake Vanから。

June

しばらく電飾シリーズが続きます。

Fowler 3F Jinty 0-6-0TとFowler 4F 0-6-0もそれぞれ運用入りました。

July

電飾シリーズの続き。PLPR Coachへの取り付けです。

Class 37 DRSをもう1台増備して、Push-Pullの運行も始めました。

こちらは電飾シリーズ番外編。ハ1005にHornby MAGLIGHTを組み込んでみました。

August

8月はあまり作業はしてなかったようですが、 久しぶりの鉄道模型関係のリアルイベントだった鉄道模型コンテスト2021で、展示されていた英国型OO-9レイアウトに心を奪われました。ここからOO-9をメインとした次期レイアウト構想がスタートしました。

September

電飾シリーズの最終目標であるLoco Lamp & Firebox Flickerの取り付け。2両目をやるかと言われると、ちょっと考えてしまいますね笑

October

Royal Mail Coachの動作デモ。やはりギミックがあると楽しいです。

そしてLMS 4P Compound 4-4-0が運用入り。

November

5月に続いて、石炭貨車15両のウェザリングをなんとか完了させました。

December

そして今年の締めはIORI工房さんのホハ6810製作開始。

この先、2両目、塗装、室内キットに室内灯キットと盛り沢山の作業が待っていますので、しばらくは製作が続きそうです。

というわけで、ざっと振り返ってみましたが、新製品があまり出なかった分、ペーパーキット製作にウェザリングや電飾など、いろいろと新しい分野に挑戦した1年だったように思います。

来年はOO-9レイアウトという大物が控えています。引き続きどうぞご贔屓に。

「祈り」と「語り」 - 「平家物語」雑感

古典の金字塔である「平家物語」のアニメーションを山田尚子が手掛けるというだけで期待十分なのに、脚本が吉田玲子で、音楽が牛尾憲輔とくれば、これはきっと自分に何かを残してくれるに違いない。早る気持ちを抑えつつ、FODで全11話が揃ったところで、一気観しました。

ど直球の作品でした。

高野文子のキャラクターデザインと声優さんたちの見事な役作りと演技(悠木碧さんもとてもよかったけど、早見沙織さん!どうしてはあんなに透き通った声を出せるのだろう... ほんとうに徳子の声のパワーはすごかった... )によって、登場人物は生き生きとした人間として描かれており、奥まってしまいそうな平家物語のエピソードは、びわの語りで回収していくという秀逸な造り。何も言うことはないので、後はどうか観てくださいと言いたくなるのだけど、シリーズを観ながら考えていたことをひとつだけ書き留めておきます。

びわというオリジナルキャラクターは、このシリーズを観る受け手(つまり我々)の視点、すなわち「目」を具現化したものとして作中に登場するわけですが、作中のキャラクターたちにとってびわとはどういう存在なのだろう、ということをずっと考えていました。当時の身分ある人物の周りには、家族だけではなくたくさんの使用人が居たであろうことは想像できるのですが、びわのような近い位置に置かれたものがどの程度いたのでしょうか。びわは琵琶奏者というのが表向きの役割でしたが、その特殊な目の能力によって、どちらかというと人ならざる者のような扱われ方、端的に言えば化物のような存在であったかもしれません(実際そういうセリフもあった)。しかし平家の人々は、その化物に対して様々な投げかけをします。当時は直接話すか文をやりとりするか、コミュニケーション手段が限られていたので、ひとそのものがコミュニケーションの「媒体」であったであろうと思います(手紙も結局は誰かが運ばねばならないので)。びわ自身には何の力もなく、彼らの人生に直接関れることがない。しかしだからこそ、平家のひとにとってびわは、いまと過去を繋ぐものであったり、居るものと居ないものをつなぐ「媒体」になり得た。途中、びわから愛おしさのようなものを感じるようになったのは、そのせいかもしれません。

しかしびわ自身は辞書やアルバムのようなものではなく、あくまで人間で。語ることで彼らの死後、彼らに大きく関わっていくことになります。最後の「目」の色の変化は、物語の装置としてのびわというキャラクターが「目」から解放され、「びわ」というひとりの人間として描かれたということなのでしょうか。

山田尚子インタビューで「今回のアニメでは叙情詩としての『平家物語』を描いてみたい」とコメントしていましたが、徳子は祈る道を、びわは語る道を選ぶ最終回の結びは叙情詩にふさわしく、心の内と外を包むとても好きな着地でした。平家物語のエピソードを構成する登場人物のキャラクターとしての面白さと、物語を語る存在としてのびわの物語という二重の構造を持つことで、「最終回のストーリーは初めから決まっていた」物語を、現代のアニメーション作品として楽しめる作品に仕上げられていたと思います。

 

 

 「アニクリ vol.5s」を読んで思ったこと

「アニメクリティーク」(Twitter: @anime_critique)は、Nagさん(Twitter: @Nag_Nay)さんが編集をされているアニメーション批評誌である。自分もかつては、宮崎駿などを追いかけて同人誌とかを作る真似事をしていた時期もあったのだけど、結婚、子育てのような時期を経て、アニメーションを見ることも少なくなり、同人誌を作るどころか即売会へ行くことすらほとんどなくなってしまった。

そんなある日、たまたま寄った秋葉原のCOMIC JINで出会ったのが「アニメクリティークvol.9.5 リズと青い鳥総特集号」。衝撃を受けたのはその分厚さ(笑)。批評、論考、小説など、溢れる言葉が250ページ余。「リズと青い鳥」はとても好きな作品なので、これだけ語られていることがまずうれしかった。そしてWeb全盛の時代にあって、紙媒体の形で刊行されていることにも感銘を受けた。内容も、自分のようなアニメファンとも言えないただの一般人には理解することが難解なものが多いが、それ故に新しい知識や考えとの出会いが楽しかった。気に入った論者の方のTwitteアカウントをいくつかフォローさせていただいて、最近のアニメ事情のようなものも少しずつ見るようになった。まさに自分にとっては、昔の自分が触れていた世界との再会であり、同時に新しい世界の発見でもあった。

その「アニクリ」の最新刊が、先日11/23の文学フリマ東京で頒布された「アニメクリティークvol.5s 続・アニメートされる〈屍体〉」。せっかく読ませていただいているのだし、何か少しでも感想なり、コメントなりを書こう、と心に決めて読み始めたものの、やはりムズい。当たり前である。気に入ったアニメをパラパラと見ているだけの者に、何を語れる言葉があるのか。しかし何か書きたい。悩んだ挙句にひとつの論考を取り上げて、その感想に変える形で思ったことを書いてみることにした。

「劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト」から「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を読み解く

本のトリとして掲載されているフクロウ氏の「wi(l)d-screen baroqueとは、キャラクターを生身の人間にすること。すなわち、魂(animus)を吹き込むこと」-『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト』まとめは、作品に対してwi(l)d-screen baroqueなる装置がどのような働きかけを為したか、に関する論考である。

自分はこの論考に対して直接コメントするには全く知恵が足りないのであるが、以下の部分

執着からの解放 、Epicureanism に基づいた自然体の、あるべき信頼関係(bona fields)を実現すること。これは例えば夏目漱石が主として文学において取り組んだ課題であるが、それをアニメ映画でやるとこうなる、ということでもある。

に関して、以前フクロウ氏とのTwitter上でのあるやりとりを思い出したのだった。それは、劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンで提示された筋書き=恋物語の成就にぼやいている自分に対する、フクロウ氏の以下のコメントのことである。

これを書いた当時は、「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が、TV版の「『愛してる』を知りたいのです!」というところから始まったヴァイオレットの物語を締めるために、「愛してる」の成就、すなわち二人が結ばれるということを140分かけてやりやがった、ヴァイオレットの物語はもっと深い(ギルベルトとの関係性以外のところにある)はずなんだ!というような考えに囚われており、氏のコメントを正しく受け止めるには至っていなかった。

しかしフクロウ氏の論考にあるように、キャラクターに背負わされた役を降り、「本心」を「曝け出す」ことを経て、傷を修復し、新たな関係性を構築していくという、「劇場版レヴュースタァライト」の流れに沿って「劇場版ヴァイレット・エヴァーガーデン」も読み解くとするならば、劇場版は恋物語の成就というよりも、TV版では未解決のまま放置された、ギルベルトとヴァイオレットの上官と部下、主人と道具という関係から、自由人としての二人の関係性への再構築を綴ったものということができる。

実際、ヴァイオレットはドールの仕事を通じて「愛してる」の意味はわかっていたはず(定評のある恋文を書くぐらいなので)なのに、なぜ「『少し』はわかるのです」という言い方になるのか。それは彼女自身が、上官と部下、主人と道具という関係でしかギルベルトと渡り合っていなかったからに他ならないのではないか。ギルベルトが生きており、会えるかもしれないわかったときに現れる動揺にも、はっきりとそれを見てとることができる。

ギルベルトの小屋での扉越しの拒絶の会話は、ギルベルトからヴァイオレットに対する本心の吐露であり、ヴァイオレットからギルベルトへの手紙は、ドールとしてではない彼女の素の姿である(とするならば、その内容の拙さも理解できるかもしれない)。そしてディートフリートから家督からの解放を言い渡されたギルベルトと、ホッジンズの乗る船から飛び降りたヴァイオレットが、海の上で初めて互いが自由人として関係の再構築に至る。

まだ全編を見直してはいないが、今回の「劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト」に関する論考により、自分が今まで見えていなかった「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の相貌を得ることができるかもしれない。

氏の論考の感想としては全く稚拙の限りではあるが、ここに書き留めることで氏への感謝の気持ちが伝われば幸いである。

 

Accurascale MDOのウェザリング

というわけで、先日到着したAccurascaleの新製品、BR 21t MDO Mineral Wagonへのウェザリング加工のレポートです。

ウェザリング方針決め

前回のHUOでは、ご丁寧にAccurascaleのWebサイトにウェザリング加工記事が投稿されていたので、それをお手本に製作を進めることができました。今回のMDOも、何かお手本になるような作例、あるいは手法が載っていないかと探していたのですが、ウェザリングの好み(どの程度汚すのか)、使う塗料などはひとそれぞれで、なかなかこれと思い当たるものがありません。

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バニラ状態

であれば、もうこれは好きなようにやればいいのではないかと思い至り、HUOのときのやり方をほぼ踏襲して、以下の4工程で進めることにしました。

  1. 筆塗りでサビ、塗装ハゲ表現を入れる
  2. 足回りをエアブラシで吹く
  3. うすめ液を使って筆でテクスチャを入れる
  4. 内側の塗装と外側の仕上げをエアブラシで吹く

HUOのときは2→1→3→4という順で、2を先に実施したのですが、一番面倒かつ時間がかかる1をまずやってから、だんだん楽な作業へ移れるように順番を入れ替えました。

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後ろがお手本となるHUO

サビ、塗装ハゲ表現

筆塗りによるサビ、塗装ハゲ表現で、唯一ルールとして決めているのは「決まったパターンを作って入れていく」ということです。ウェザリングはいわゆる「汚れ」なので、ランダムに入れてもいいように思うのですが、あまりにランダムにやってしまうと、編成として見た場合の統一感が失われて、美しくないのです。できれば美しく汚したい。そこで、今回のMDOでも、概ね以下のパターンで入れていくことにしました。

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  1. まず赤線の部分、フレームに沿ってざっとサビ表現入れる
  2. そのあと青線の囲みのような部分に大きめの塗装ハゲ表現を入れる

1についてはHUOとほぼ同じですが、2は新しい試みです。MDOは形に大きな特徴がない分、塗装ハゲを大胆に目立つように入れることで、しっかりアイキャッチを行おうという目論見です。

塗料は、タミヤのアクリル塗料XF-10フラットブラウンをほぼそのまま使用し、タミヤモデリングブラシ(極細)で塗っていきます。作業の難易度は高くないのですが、ひたすら単純作業を繰り返すことになるので、ダレて雑にならないように、作業は1日3両までと限度を決めました。3両も塗ると眼も限界になってくるのです... 老眼ツライ。

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全15両を5日間かけてなんとか塗り終えました。この段階では、サビ表現というよりは「これ、なんか塗ったよね」というふうに見えてしまいます... 失敗か?いやいやまだまだこれからこれから。

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足回りのエアブラシ

次は足回りに取り掛かります。筆塗りに比べればエアブラシ作業は天国のようなもの。XF-10フラットブラウンにXF-1フラットブラックを少し混ぜたもので、足回りを一気に吹きます。

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きれいに焼きあがりました風

エアブラシを入れると、それまで単にプラスチックにしか見えなかった足回りが、急に激務をこなしたソレに見える、この瞬間が楽しいです。

うすめ液によるテクスチャ

ここまできたところで、これまで入れてきたサビ、塗装ハゲ表現とエアブラシの汚れをあえて崩すように、うすめ液を含ませた筆を使って、本当の意味での汚しを入れます。

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写真では非常にわかりにくいのですが、赤矢印の細かい汚れや、青矢印にある細かい傷のようなものが、それにあたります。筆塗りやエアブラシだけでは細かい変化をうまく入れるのは難しく、どうしても単調になってしまいがちです。この作業は敢えてランダムさを入れて、偶然生まれる良さみたいなものを出せれば、というわけです(もちろんいつもうまくいくわけではないのですが)。

内側の塗装と外側の仕上げ

最後は再びエアブラシで、石炭が入る内側を黒々と吹いていきます。XF-10フラットブラウンに対して、XF-1フラットブラックを気持ち多めに調色したものを使います。エアブラシの吹き付けが外側にはみ出さないように、ボール紙で作った治具を使います(HUOとサイズが同じなので以前のものを流用)。

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内側が吹き終わったら、同じ色で外側もごく軽く吹いて、全体の明度を調整して完成です。

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試走

まずは石炭なしの状態で。

いざ、石炭を積んで出発!

Hornbyから発売予定の新金型のBR 9F 2-10-0にひかせる日が待ち遠しいですね。

「アイの歌声を聴かせて」を観ながら思ったこと

今日、川崎のチネチッタに「アイの歌声を聴かせて」の2回目を観に行ってきた。そしてようやくこの感想を書いている。

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チネチッタにて展示

「アイの歌声を聴かせて」は、ずっと楽しく観させていただいている吉浦康裕監督の最新作、そして名作「イヴの時間」を受け継ぐ、アンドロイドが登場する作品というだけあって、僕の中では今年一番の期待作だった。

ミュージカル仕立ての演出は映画の楽しさを存分に表現しており、シオンの間抜けた感じと愛らしさは作品全体を明るく照らし出している。登場するキャラクターは個性的で青春群像劇としての奥行きを出している。名作と言って過言はないと思うのだが、それはあくまで客観的にみた評価であり、個人としてはいまいちそれに乗り切れない歯痒さがあった。

先日の細田守監督「竜とそばかすの姫」を観たときの反応とも共通するのだが、どうも自分の中にある規範意識が作品を純粋に楽しむことを阻害しているような気がする。

例えば、主人公サトミの母親である美津子。シオンを生み出したプロジェクトの責任者でもある彼女は作品のキーパーソンであるのだけど、家のことはサトミに任せきりで、仕事に没頭するタイプとして描かれている。男性優位のホシマという組織の中でのし上がっていくには避けられない行為で、もちろんサトミの美津子に対するコミットがあってのこととは思うのだが、大人と子供という非対称な関係の上で展開されるやりとりを見ているのがちょっとつらくなってしまったりする。

あるいは電子工作部。ホシマの城下町でAIの実証実験もやっている軽部の高校の電子工作部となれば、もっと花形の部として描かれるようなことがあってもいい。いかにも窓際文化部風情の屋上のプレハブ小屋で、部員も男子ばかり。男女問わずエンジニアを目指すような雰囲気があってもいい。

あるいは野見山さん。あのポジションに収まるまでにいろいろあったんだとは思うけど、美津子の年下上司のものとで、うだつのあがらないオッサンとして描かれてしまうのはなんとなくステレオタイプな印象を受けてしまう。

もっと作品の根幹に関わる「なぜシオンは女子高生の形を模して造られたのか」というのもあるのだけど、それをここに挙げたものと同列に語るにはあまりに大きな話題なので、一旦脇においておくとして。

どれもほとんどイチャモンレベルではあるのだけど、素晴らしき青春群像ミュージカルを楽しむ前に、そういう些細なことにつまづきまくっている自分がいる。

もちろん大衆娯楽作品を前にして、ジェンダーの問題意識とか、ダイバーシティインクルージョンを考慮したものでなくてはならない、なんて叫ぶつもりは毛頭ない。それこそ出過ぎたマネである。でも自分の中の心の声を無視することはできない。

例えば最近観始めた「ラブライブ!スーパースター!!」では、こんな感想を書いてしまった。

自分でもちょっと異常だと思う。

今日2回目を観に行ったのは、1回目のつまづきを一旦全部括弧に入れた上で鑑賞したかったからだ。それは功を奏したようで、満足のうちに映画館を後にすることができた。鑑賞姿勢としてどちらがいいということはないと思うが、映画を楽しむ上で少し気にしながら考えてみたいと思う。

 

ライブが教えてくれたこと

2年ぶりの参加となったマジカルミライ2021ーそのライブの開演の時。

いつもどおりBGMのヴォリュームが一気に上がり、客電が落ちる。一斉に立ち上がる観客。手にした色とりどりのペンライトがさざなみのごとく広がります。

そして舞い上がるスモークの中、オープニングを飾る音楽とともにレーザー照明が広い会場を貫きました。その瞬間、僕は泣いていました。

ミクさんの歌声どころか、ミクさんも登場していないのに。何に対して泣いているのか、自分でもよくわかりませんでした。でもライブが進むに連れ、それは何なのかわかったのです。

人の声。歓声。

しかしよく考えると、このライブは誰も発声していないのです。観客は、新型コロナ(COVID-19)感染症予防対策として、マスク着用の上発声することは禁じられています。唯一声を出しているボーカロイドたちも、もちろん生身の人間ではなく電子的に造られた声なわけで。

それでも。それでも。

観客が振るペンライトはいつも通りに揺れていて。会場に居る誰もが、その心の中ではっきりとコールや歓声が聞こえていると言わんばかりに揺れているのです。「METEOR」のコールも、未だ聞かれぬ「愛されなくても君がいる」のコールも、バンドメンバーへの声援も。その声が聞こえるたびに、僕は何度も泣いていました。

この2年間失われていたもの。それは別にライブだけではなくて、普段の生活からも失われていたものかもしれません。今日マジカルミライのライブは、その「声」を聞く装置として完全に機能していました。失くしていたものを教えてくれたのです。本当にありがとうございました。

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