「竜とそばかすの姫」に関するメモ

「竜とそばかすの姫」を観た。

とはいえ、楽しみに観に行ったというよりは、ブログなどに書かれた感想を読み漁るうちに、本編を見ずにそれにコメントをするのは気が引けるのでとりあえず観ておくか、という体である。

細田作品は「時をかける少女」あたりからずっと観てきていて、「バケモノの子」までは特に引っ掛かりもなく楽しく観ていたのであるが、「未来のミライ」で完全なる拒否反応を起こして今に至る。自分としても、この「竜とそばかすの姫」でダメだったら、たぶんもう細田作品は合わないんだろうな、と思いながらの鑑賞であった。

結果は... 1ミリもいいとは思えないまま、エンドロールが流れた。

よく書かれているストーリーのアラに関しては、期待していなかった分、正直それほど気にならなかった。それよりも、登場人物の中で共感できるやつが誰一人としていなかったことの方が致命傷だった。全員が気持ち悪いのである。

母親を事故で亡くして、大好きな歌を歌えなくなった「すず」。どうして母は、娘である自分を差し置いて、見ず知らずの少女を助けるために命を投げ出してしまったのか。トラウマになるには十分な過去ではあるが、それは過去の話なのである。物語が描かれるのは、それから10年ほどの歳月が経ったところだ。もちろんいくら歳月が流れようとも決して癒されない悲しみというものもある。でも彼女の周りには、父親もいれば、親友と呼べる女友達も、幼なじみの男友達もいる。母が所属していた(?)合唱サークルのおばさんたちも、きっとずっとすずを見守っていたに違いない。

もしこれが、両親とも死んでしまったとか、おまけに施設にでも送られて、自分の胸中を語る相手がいないまま過ごしてきたというのなら、まだわかる。でもすずにの周りには、彼女のその悲しみを共有し、救いの手を差し伸べられる潤沢なリソースが揃っているのである。にもかかわらず、彼女はまだワダカマリを抱えたまま高校生になっている。これはどう考えても何かがおかしい。

特に一番彼女と悲しみを分かち合う存在になるはずの父親の描かれ方は、じつにひどい。もはや明確な悪意を持って描かれているとしか思えない冷たさである。彼も最愛のひとを亡くし、家族を守ることを半ば放棄しかかっているという設定なのであれば、真っ先に救われるべきはすずではなく、その父親の方なのではないかと思うぐらいだ。

いずれにしても、母親が亡くなってから10年以上経ってもなお、すずがワダカマリを抱えたままになっているのは、もはや彼女の生活する環境は彼女を救うに値しなかった、という明確なメッセージではないか。Uは単なるキッカケだ。少女よ、故郷を捨てよ、都会に出よう。それこそ、彼女が本当の姿を取り戻す道なのである。

もしこの映画のラストが、家に帰ってきてよかったね的な終わり方ではなく、あの兄弟と駆け落ちまがいのことをして、一度は児相に踏み込まれて故郷に送り返されるも、一念発起、猛勉強の後に無事東京の大学に進学を果たし、兄弟とすずの3人で新しい生活を始めるとかだったら、まだ納得できたかもしれない。そんな妄想だけが、残った。

(あれ、なんかそんな映画をどっかで観たような...)