「明日ちゃんのセーラー服」短評

「明日小路は いつだって衝撃的だ」(木崎 江利花)

〜「明日ちゃんのセーラー服」39話 おっきな悩みがあって より

「明日ちゃんのセーラー服」は、博による集英社の「となりのヤングジャンプ」に連載中の漫画で、2022年の冬アニメ(1月〜3月)としてTVアニメ化もされた(制作:CloverWorks)。自然が豊かな田舎(おそらく軽井沢周辺?)にある中高一貫の私立女子校・蝋梅学園を舞台に、主人公・明日小路(あけび こみち)とクラスメイトたちの入学から始まる学校生活が描かれていく。

特徴的な設定として、舞台となる学校が偏差値70を超える超難関校であること、親元を離れて通学するための寮が備えられていること(ただし全寮制ではない)、そして1クラスの人数が16名前後という少人数クラスとして運営されていること、が挙げられる。作品では、明日小路のいる1年3組のクラスメイトすべてに、名前はもとより、出身、家族構成、容姿、性格、特技、その他細かい設定が与えられ、明日小路との交流によって、それらが描き出されていく。

ここまで書くと、お嬢様たちで構成された典型的な“美少女動物園”作品のようにも思われる。主人公の明日小路からして、蝋梅学園を志望した理由が、作品世界のアイドルである福本幹(ふくもと みき)が出演のCMで見せたセーラー服への憧れからきており、学校内でただひとり旧制服であるセーラー服を着用することになるなど、キャラクターの特徴的要素として強調されている。小路と最初に友達になったクラスメイトの木崎江利花も、ブロンドの髪をツーサイドアップにした容貌、音楽家の父、卓越したピアノ、バイオリンの腕前、東京(田園調布近辺と思われる)のメイド付き豪邸に住んでいることなど、お嬢様要素を盛り込んだ設定となっている。他のクラスメイトについても、同様に舞台設定を活かした特徴あるキャラクターとして描かれている。

自分はTVアニメからこの作品に出会ったのだが、1話を見たあとの感想は「確かに絵は恐ろしくキレイだけど、結局のところ、美少女たちが学園の日常をわちゃわちゃ展開していく話なんでしょ?」ぐらいのものであった。事実、作品のコンセプトは「1つの学級を『箱庭』的に描く日常モノ」であり、類型的には“美少女・学園・日常もの”のひとつとして見てしまってもいいのかもしれない。しかしながら、そのような類型に「明日ちゃんのセーラー服」という作品を押し込むには、少々タガがはずれ過ぎている。

何がこの作品を一線を画す存在としているのか。最大の魅力は、なんといっても元々アニメーターを志望していた博による圧倒的な人物・人体描写であることは間違いない。しかし、ここでは少し視点を変えて、主人公である明日小路の振る舞いと、クラスメイトとのインタラクションについて取り上げてみたい。

冒頭にも書いたように、明日小路の振る舞いは、ともすれば突飛に感じてしまうことがある。クラスメイトからの声を拾ってみるとこんな感じである。

「あなた、おもしろいわ」「明日さん危なっかしい」(木崎 江利花)

「明日小路のすることは いつも女の子からほど遠い」「明日小路は明るい…心配になるぐらい」(古城 智乃)

「本当忙しい子…疲れないのか」(龍守 逢)

「今一番気になる生き物です」(大熊 実)

しかしその大胆とも思える振る舞いは、持ち合わせた社交性や、考える前に行動というような性格から来るものではなく、むしろその反対である。彼女は小学校時代を廃校寸前のひとりクラスで過ごしたため、本来経験すべき同年代の子どもの関係構築が欠けている。また、お休みの日に木崎さんを家に誘うエピソードでは、むしろどう相手に伝えようか一週間逡巡するほど考えていたりするのである。しかし、俗に言ってしまえば、そのスレていない振る舞いによって、クラスメイトに徐々に影響を及ぼし始めることになる。

体育祭でのエピソードで、応援係の小路が四条さんを(半ば強引に思えるような形で)応援練習に誘う場面がある。自身の体型に戸惑いを抱いていた四条さんは、気恥ずかしさからうまく身体を動かすことができない。そんな縮こまった自分自身の姿をスマホで撮影された動画で見た彼女は、意を決して自分を気恥ずかしさから自分を解放し、その後、体育祭担当種目であるテニスにおいて、自分がテニスを始めた理由「かっこよかったから」を思い出し、渾身のサーブを決めるのである。

あるいは夏休みの東京旅行の件で、幼い頃の思い出の場所であるかがやき渓谷(等々力渓谷ですね...)に明日小路を誘った木崎江利花は言うのだ。

「私...あなたに憧れてる 小路さんの行動 一つ一つが私にないもので... 全部 ほしくてたまらないものなんだ」(木崎 江利花)

木崎江利花は、ピアノの演奏者としての道から逃げるように蝋梅学園にやってきた。そして、明日小路に出会うことで、彼女とともに新たな道、再び演者としての道に足を踏み出そうとしている。

それでは「明日ちゃんのセーラー服」は、そんなスーパースターである明日小路がクラスメイトを一方的にエンパワーし、魅了していく話なのか。否、それはあくまで一面であって、それだけではこの作品世界の奥行きは生まれない。クラスメイトが明日小路ファンクラブの会員になっていく話ではないのである。

体育祭の水泳種目のアンカーを決めるエピソードにおいて、明日小道とタイムを競って決めることになった水泳部の水上りりは、小路に対して自分が勝ったら自分のブレザーと小路のセーラー服を交換するよう賭けを提案する。勝負の結果、水上りりの勝利に終わり、落ち込む小路に対して、水上りりはあれはうそだと前置きした上で、こんなことを告げるのだ。

「小路いっつもニコニコしてるやろ?どうしても本気で勝負してほしかってん」(水上 りり)

明日小路の突飛とも思える振る舞いに対する、クラスメイトたちの確かな応答。それこそがこの作品の面白さである。都会から離れた超難関の寮付き女子校という設定は、もちろん「箱庭」を作るための作劇上の設定でありつつも、各キャラクターに個として背景と明確な意思を持たせることを助けている。そしてそれらの個が、蝋梅学園というコミュニティのなかで競争し、協奏する。学校という装置が備える根源的な役割を描写するのに、まさに最適に作用しているように思われる。

昨日発売された10巻においては、TVアニメの7話として先行して発表され、表紙にもなっている蛇森さんのギターのエピソードが展開される。演奏場所として忍び込んだ旧館で、図らずも二人して木崎江利花のピアノ演奏を聴いてしまったあと、立ち去ろうとする蛇森さんに対して小路は

「いやだ 聴かせて」(明日 小路)

と演奏を促す。しかしここで重要なのは、この小路の引き留めではなく、ギター初心者であることを打ち明けて、なお

「わかったよ 後悔したって... 知らねーから」(蛇森 生静)

と応える蛇森さんであり、それを導いた寮のルームメイトである戸鹿野さんの、同じ場所に集ったものにしか言えない言葉であろう。

「ただ そんな理由で蝋梅やめるとか言ったら−−− ゲーム楽しかったよ 他のも気になるしさ 持ってきたゲームちゃーんと全部教えてよ」(戸鹿野 舞衣)

彼女は演奏中、明日小路を見られなかった。それでも最後まで演奏した。

「緊張で涙出るやつなんて 見たことねぇよ」(蛇森 生静)

そして満月寮に戻ってきた戸鹿野さんさんに対して開口一番、こう話しかけるのだった。

「まい Fコード 弾けた」「これ弾けるだけで 前よりも上手になるんだから 明日小路だってわかるはず」(蛇森 生静)

明日小路を確かに受容するクラスメイトたち。彼女たちもまた、小路と同じぐらい魅力的に思えるのだ。

もちろんこの作品はフィクションである。明日小路というキャラクターは主人公補正がされたスーパースターで、それを受容し、確かに応答するクラスメイトたちの存在も、フィクションであるがゆえに成立するのである。

そう考えることはたやすい。

しかしながら、もし現実に明日小路のようなキャラクターがいたとしたら。自分や周りのひとたちがそれを受容し、確かに応答できる世界は構築できるだろうか。「変わったひと」「空気読めないよね」「女の子じゃないみたい」「ついていけないわ」そんな言葉で、彼女をやんわりと遠ざけ、孤立の檻に置いてしまうようなことはないだろうか。僕は、この現実世界に居るはずの「明日小路」と確かに応答できるようでありたい、この作品に触れるたびに、そんなことを思わずにはいられないのだ。