デイジー・マグノリアを巡って

劇場版「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、ヴァイオレットたちが生きたその後の時代から過去を振り返る形で、ヴァイオレットの物語が語られるという構造になっている。単に「ギルベルトとの再会」という主題に直接フォーカスするのではなく、シリーズのラストを飾る作品として「ヴァイオレットという女性の生涯」というフレームを持ってきたのは、個人的には良い挑戦だったと思う。
この語り部として出てくるのが、あの伝説の10話のヒロイン、アン・マグノリアの孫デイジーマグノリアである。冒頭、マグノリア家のお屋敷から物語は幕を開けるのだが、見覚えのあるその外観にファンならはっとしただろう。場面はアンが亡くなってお葬式が執り行われた後から始まる。デイジーはそのお屋敷の暖炉跡の上に置いてあった箱から、曽祖母にあたるクラーク・マグノリアが祖母アンに向けて書いた誕生日ごとの手紙を見つけ、その代筆の主であるヴァイオレットの足跡を辿る、という導入だ。このくだりは既にYouTubeで公開されているので何度でも見ることができるのだが、自分にはなぜデイジーがヴァイオレットの足跡を辿ろうとしたのかがどうにもわからないのである。


まずこのデイジーと祖母アンがどのような関係であったかがはっきりしない。デイジーと多忙な母の関係がうまく行っていないことは示されるのだが、デイジーが祖母アンとどのような関係であったかははっきりと示されない。デイジーは祖母アンのことを心配していたようだが、途中に挿入される祖母アン、デイジーの母、デイジーの三人が写った写真では、祖母とデイジーの母は仲良く収まる横で、デイジーは少し距離を置いてそっぽを向いているのである。そもそもこんな写真を飾るのかという気もするが、母との仲違いを強調したかったのだろうか。しかし祖母アンとデイジーの関係は捨て置かれたままである。両親が仕事に戻ったあと、テラスで母との仲違いの後悔を祖母アンに対して心情吐露する場面がある。ここで初めてアンが母より祖母に心を開けていたかもしれないことが示唆される。(余談だが、セリフでの心情吐露はあまりにも直接的で説明的になってしまっている。これより前のシーンでドールについての説明を思いっきりセリフでしてしまうのも非常に興醒めだった... そんなものはなくてもこの映画は成立すると思うのだが... 「リズと青い鳥」で見せた美しさはどこへ行ってしまったのだろう)

ただ、もしデイジーが祖母アンと親密な関係を築いていたのであれば、手紙のことを知らないのはどうしてだろうか(母は知っている)。もし母との仲違いのことを祖母アンに相談していたのであれば、おそらくデイジーにも手紙のことを話していたように思う。
この関係性がはっきりしない状況は、その後手紙を読んだときの反応にも現れる。デイジーは祖母アンではなく、なぜか曽祖母クラークに共感して涙を流すのだ。正直これは唐突過ぎて面食らってしまった。その涙を補完するように10話の回想シーンが挿入されるが、あの手紙が感動的なのは手紙が書かれた状況の前提があるからなのであって、手紙の内容そのものは普遍的な母から子への愛情を示したもの以上でも以下でもない。デイジーはいま母親との関係がうまくいっていないのだから、祖母アンに対してうらやましいという気持ち起きても、曽祖母クラークへの感情移入して泣くというのはどうにもわからないのである。
やがてデイジーは箱に入っていた新聞の切り抜きを見つけ、ようやくヴァイオレットという人物にたどり着く。この劇場版の語り口を構成する物語の起点としては最も重要な場面だ。でもなぜかここで「ヴァイオレットという女性の生涯」に影を差す衝撃の事実が語られるのである。「18歳のときにそこを辞めて以降、彼女の記事を見ることはない」。つまりドールとしては彼女は大成することはなかったという事実だ。
もちろんこの映画を観に来た多くのファンは、このセリフの意味をギルベルトとの再会を果たしたことだと了解し、悪いことと捉えないのかもしれない。でもわざわざ語り部を引っ張り出してきたのは「ヴァイオレットという女性の生涯」を語るためではなかったのか。「ドール」という職業を通じて、武器であった彼女は「あい」を知り、自分自身を確立できたのではなかったのか。それだけではない。外伝では他者をも導く存在となったのではなかったのか。アニメシリーズではアイリスが結婚してからも仕事を続けるといい、それをエリカが新しい時代ね、と肯定的に語っていたのではなかったのか。何よりもヴァイオレットは「ドール」を愛していたのではなかったのか。もしギルベルトとの再会がドールとしての大きな飛躍を阻んだのであれば、ギルベルトと再会しないほうがマシだったのでは。そしてそんな彼女のことをデイジーはどうして追いかけようとしたのか。何も語られぬまま、この物語は始まるのである。
率直に言って、この冒頭の10分は物語に導かれるどころか、混乱を生み出しただけだった。少なくとも僕にとっては。

物語にifはないけれど

ヴァイオレットとギルベルトと再会を果たしたあと、物語は冒頭に連なるデイジーの話へと戻ってくる。普段伝えられなかった思いを手紙を通じて両親に伝えるというところで話は終わる。だとすれば、ヴァイオレットに辿り着くきっかけも手紙であったらよかったのかもしれない。
新聞の切り抜きをしていたように、アンはクラークの思いの向こうに手紙を代筆したヴァイオレットの存在を認識していた。だとすると、アンとヴァイオレットの間で何らかの手紙のやりとりがあったとしても不思議はない。例えばCH郵便社を去る前に、母クラークではなくヴァイオレット自身からの手紙として、アンに対して何らかの励ましの言葉が送られていたのなら。そしてその手紙をデイジーが読んだのなら。そしてそれが両親に対して素直に自分の気持ちを伝えようと思ったきっかけになったのなら。アン、ヴァイオレットそしてデイジーという三者が、時を超えて大きな円環の中に収まることができたのではないだろうか。そんな妄想を僕は止めることができない。