「ヴァイオレット・エヴァーガーデン エバー・アフター」(暁佳奈/KAエスマ文庫)

京都アニメーションで起きた痛ましい事件から1年経った昨日、改めて様々な報道がありました。自分自身どなたが犠牲になったのかを知るのが苦しく、被害に遭われた方の氏名が会社や遺族の意向により明らかにされなかったこともあり、これまでなるべく目に入らないように避けてきました。しかし今回の報道で犠牲になった何人かの方のお名前を目にすることになり、1年前のことにも関わらず遅れてきたショックに見舞われています。遺族の方のコメントに「彼・彼女らも私たちや友人たちに別れの言葉を告げることもできずこの世を去ったことや、努力を重ねて築いてきた人生が突然断ち切られてしまったこと、さぞ心残りだったと思います。」とありましたが、まったく無念としか言いようがありません。

ただ事件当初より全力を挙げて社員その家族を守り、支え、また京都アニメーションの存続に向けて闘っていた八田社長のコメントは力強い光のようで、なぜ京都アニメーションが日本を代表するアニメーションスタジオになったかを端的に表しているように思えました。事件後に京アニが手がける最初の作品が、戦争後のひとりの女性の再生を綴った「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」であることは、偶然とはいえ、何か意味があるようにも思えます。

アニメ版の完結編となる「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に先立って、原作の最終巻「ヴァイオレット・エヴァーガーデン エバー・アフター」は3月末に刊行されました。アニメ版ではギルベルトの生死については不明とされ、ヴァイオレットは再会を果たせないままなのですが、原作では下巻の最後で二人は再会し、最終巻の「エヴァーアフター」はその後日談という位置付けです。

KAエスマ文庫 ヴァイオレット・エヴァーガーデン エバー・アフター

インテンスの戦いや大陸横断列車乗っ取りの話など、原作では活劇的な話も多く書かれているので、再びギルベルトとヴァイオレットを巡る大立ち回りがあるのかとも想像していたのですが。蓋を開けてみると連作短編の形式で、どの話も贅沢すぎるほどに丁寧にヴァイオレットとその周りの人たちのその後の営みを書いたものでした。どの話も大きな余韻を残すものですが、自分が気に入った3つの挙げてみました。

1つ目は「親愛なる貴方と自動手記人形」。再会を果たしたふたりですが、職業柄ゆえに遠距離恋愛状態。そこでやりとりされる手紙を中心に話が進んでいきます。ギルベルトとヴァイオレットがやがて結ばれるというのがこの小説の主題なわけですが、自分としては「結ばれてめでたしめでたしなのか?」という疑問がありました。なぜなら二人が結婚するということはヴァイオレットがブーゲンビリア家に入ってギルベルト夫人(つまり職業軍人の奥さん)として振舞い、さらに跡取りを作る(ことを要請される)という未来が待っているわけです。家族はよくとも、親類縁者にはヴァイオレットの出自をよく思わない人間もいるかもしれません。本当は自動手記人形をやっているいまの状態の方が幸せなのでは?とも思っていました。でも作者はそれを見透かしたように、この話でギルベルトとその妹ユリアのやりとりの手紙を登場させます。なかなか家族に相手(ヴァイオレット)を紹介しないギルベルトに対して、愛する兄のために自分が庇護者になるから安心して連れて来なさいというユリア。かつてのドロッセル王女シャルロッテを彷彿とさせる勝気な女性に描かれており、ヴァイオレットが嫁いだあと、二人がよい関係を築いている未来を想像できるのです。この短いエピソードのおかげで自分の心配が払拭され、作者には感謝しかありません。

2つ目は「旅と自動手記人形」。CH郵便社の面々によるパジャマパーティー回というファンサービス過ぎるお話なのですが、そんな状況設定の柔らかさとは裏腹に、ギルベルトとヴァイオレットが結ばれた先にあるもうひとつの心配、ヴァイオレットがCH郵便社を去る未来を少し先取りし、残された面々のそれぞれの未来が想像できる種を捲くお話でした。特に終盤のホッジンズとヴァイオレットのやりとりは、ここまで話を見つめてきた読者には突き刺さるものがありました。ヴァイオレットの心の向かう先はギルベルトだけど、ギルベルト以上に本当にヴァイオレットのことを思っているのはホッジンズなんじゃないか、その想いが存分に描かれていました。ホッジンズは本当にいい男ですね。そして、ヴァイオレットがいなくなって空いた心の穴は、やがてラックスが埋めてくれることも想像されるというおまけ付き。どこまで丁寧なんでしょうか。

最後3つ目は最終話「夢追い人と自動手記人形」。本当に大好きなお話です。おわりの方にはヴァイオレットとギルベルトとの抱擁とかキスとか「お前ら中学生かよ」みたいなシーンが出てくるのですが、そこは実はどうでもよくて(笑)。お話としては、ヴァイオレットが仕事で訪れた街で歌手を目指すひとりの少女レティシアとひょんなことから寝食を共にすることになるところから始まります。レティシアの夢を知り、自分の夢を認識したヴァイオレットは、やがて猛然とその夢を叶えるべくレティシアの背中を押すのです。かつてはディートフリート、そしてギルベルトの道具に過ぎなかった彼女が、ホッジンズの計らいで自動手記人形という職業を得て、やがて人の心を持ち、そしてついには人を導く存在になった、その瞬間を見る思いでした。ライデンに帰るヴァイオレットをレティシアが引き止めようとするシーンは映画を見ているよう。読者がレティシアで、ヴァイオレットに行かないで欲しいと願っている、まだ貴方の物語を見ていたいと。でもヴァイオレットは貴方の夢に向かって進むべきだと言って去るのですよね。目頭熱くなりました。

そのほかの話も含めて、作者から読者への優しさを感じられる話ばかりで。「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は違う話になるでしょうし、秋の公開の前にもうひとつの魅力に是非触れて欲しいと思います。