一通の手紙

つい一昨日のこと、夜遅くに帰ってきた高3になる息子から、空になった弁当箱とともに一通の手紙をもらった。この先、卒業まで授業も定期考査もなく、今日が最後の弁当になったということで、中高6年間の弁当に対する感謝の気持ちが綴られていた。正直自分が子どものときに親に手紙なんて書いたことはなく、家に手紙を書く習慣を持ち込んだのは奥さんの方だったのだけど、もらうと素直にうれしいものである。もちろん直接感謝の言葉をもらうのもうれしいが、こうして手紙になっていると形として残るので、またふとしたときに思い出すことができる。

そういえば、先日の金曜ロードショーで放映された「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」も、ヴァイオレットの足跡を尋ねてエカルテ島を訪れたデイジーが、両親に宛てて手紙を書くエピソードで締め括られていた。手紙で思いを伝える。作品の重要なテーマではあるが、正直そのデイジーの手紙も、直前のヴァイレットがギルベルトに宛てて書いた最後の手紙も、どちらも観ている自分がやや置いてけぼりな感じには思えた。

手紙というのは文面で読まれるのではなく、実際に送り手が書いている様を想像できるところに力があるのであって、内容がパーソナルであればよりハイコンテキストとなる。残念ながら、いずれの手紙の場面も、エピソードとしてはわかりつつも、手紙が持つ本来の力を、画面越しの第三者が共感を持って受け止められるようにはなっていなかったように思う。(ちなみにユリスの手紙も自分にはダメだった)ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は手紙が物語の大きな軸であるのだが、やはり劇場版では色恋沙汰の決着に気を取られていたので、仕方ないところなのだろう。

同じ作品でも「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝ー永遠と自動手記人形ー」では、手紙が非常に効果的に物語の軸を構成していたように思う。終盤、イザベラに渡されるテイラーからのたった一文の手紙は、一文であるがゆえに、観客の誰もがその手紙に込められた思いを実感できたのではないだろうか。

「わたしはテイラー・バートレット、エイミー・バートレットの妹です。」

もしまだ未見の方がいらっしゃったら、是非とも外伝の方を観て「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が持つ、本来の美しさに触れていただければ幸いである。