「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

アニメファンにとってはいまさらの話だが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を観た。最近、家族のリクエストでNETFLIXをサブスクライブしたところにちょうど出張があり、飛行機の中で見る作品としてスマホにダウンロードしたのがこれだった。

京アニ作品は今までも「けいおん!」「氷菓」「響け!ユーフォニアム」などは見ていたのだけど、このオリジナル作品には食指が動かなかった。TV CMは覚えている。少女漫画テイストを持ったコテコテのアニメキャラ。「ヨーロッパを舞台にした戦争もの?」ぐらいの認識だった。ただ結果として。往復の飛行機の中で13話の作品を2周することになった(さすがに2週目は若干飛ばし気味で観ていたけど)。

この作品の魅力は言うまでもなく、京アニによるレベルの高いアニメーション表現にあるが、京都アニメーション大賞唯一の大賞受賞作という原作の良さによるところも大きいと思う。

主人公であるヴァイオレット・エヴァーガーデンの物語。そこに手紙という媒体を通じて戦後を生きる様々なひとたちの物語が織り交ぜられ、ヴァイオレットの再生(成長と書くこともできるが、自分は敢えて再生という言葉を使いたい)を助けていく。大きな戦争を経験した19世紀終わりから20世紀始めぐらいの時代設定ながら個人の物語にフォーカスしており、テーマは非常に普遍的で現代的だ。かつその設定の軸を「自動手記人形」という呼び名の仕事として繰り入れているのがさらに興味深い。この職業に就く女性たちは「ドール」と呼ばれていて、少しアイドルっぽい要素も匂わせている(ヴァイオレットの衣装なんて、あの恰好をする必要があるのか?とか思ったりする)。

一体代筆業なんてものが一般の職業として成り立つ世界があるのか。ご都合主義?と感じられなくもない。だが「ドール」の存在を依頼者が背負う物語の語り部としての第三者とみれば、ヴァイオレットの持つ真摯さとも合わせて不思議な説得力を持ってくる。大胆な設定を物語をドライブする装置として使い切るバランスの良さが、この物語が大賞を受けた理由のひとつのように思われる。

しかしながら、冴えわたる京アニの演出は映像表現として作品をさらに高い次元へ押し上げている。特に僕が舌を巻いたのは10話だ。その前の9話で、主人として慕ったギルベルト少佐の死を知り、自身の過去と対峙し、「自動手記人形」という新しい生を生きようと決意したヴァイオレット。その後に続く仕事のエピソードだ。

とあるお屋敷に住む夫人から出張代筆の依頼があった。夫はすでに他界しており、8歳になろうかという小さな娘アン・マグノリアとの二人暮らし。どのような依頼であるかは伏せられていたが、依頼者である夫人は病気がちの上に娘を代筆の場に入れないとなると、おおよその内容は察しがつく。娘アンに宛てた遺書だ。

アンは最初、ヴァイオレットのことを母との遊び時間を取る「よくないもの」と考えていた。ヴァイオレットも、アンに一緒に遊ぶようにお願いされてもそれは業務範囲外ですと答えていた。非常に彼女らしい受け答えだ。しかし夫人の体調ゆえに幾度か代筆を中断し休息を取らねばなくなり、その間ヴァイオレットが母の代わりにアンの遊びに応えていくようになる。次第にヴァイオレットに懐いていくアンだが、本当に遊びたいのはヴァイオレットではなく母だとこぼす。そしてそれはヴァイオレットが悪いのではなく、自分のせいだと言い出すアン。ヴァイオレットはアンは悪くないと答えるのだが、それは決してアンを救う言葉にはならなかった。

やがて物語はエンディングへ。母が亡くなったあと成長していくアンの姿に、毎年誕生日に母から届く手紙が重なる。手紙の依頼は単なる遺書ではなく、夫人が見ることのない未来の娘に宛てた手紙だったのだ。アンは毎年届く手紙を通じた母の愛に包まれて大人になり、やがて伴侶を得、彼女自身が母となるシーンで終わる。

ここまでであれば、あのときアン救うことができなかったヴァイオレットが代筆の手紙を通じて救うことができた、ヴァイオレットの職業人としての成長のエピソードとして捉えることができる。でも。この10話の核心はエンディングパートに続くCパート、最後の1分にある。

出張代筆の業務を終え、CH郵便社に戻ってきたヴァイオレット。出迎える同僚を前に「アン・マグノリアに今後50年に渡って届ける手紙です。」と、いつもの「報告」をする。だがやがて彼女は大粒の涙を流しながら、依頼者の娘アンの身を案じるのだった。

「私...私、お屋敷では泣かないように我慢していました...」

このひとことのセリフで、10話の核心はアンからヴァイオレットにがらりと移るのだ。職務に忠実であろうとする彼女と、その内側に抱えた心の葛藤。これまで彼女が持ちえなかった感情だ。ヴァイオレットはどんな思いでアンと遊んでいたのか。ヴァイオレットの感情表現が非常に抑制されていたがゆえに、最後の同僚への心情の吐露が胸に刺さる見事な演出だった。(そして機内でボロ泣き→そこにCAさんが食事を持ってやってくる→...こういうときどういう顔をしていいかわからないの...)

ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の物語に大きなトリックはない。あくまで個々の登場人物に寄り添って語られる物語だ。観る人によっては平凡で退屈に思えるだろう。しかしアニメーションで深い感情表現を目指す京アニの挑戦の舞台としては申し分ない。いまから春に公開される劇場版を心待ちにしている。