作品の現代性「コクリコ坂から」と「土星マンション」

お盆の頃に「コクリコ坂から」を観てから、なんとか感想を書き付けておこうと思っているうちに随分時間が経ってしまいました。
コクリコ坂から (ジス・イズ・アニメーション)
規則正しい日常、歴史ある学び舎、愛すべき仲間たち、それを見守る大人。それらを舞台に描かれる恋と親子の想い。吾朗監督の作品ということで、多少演出の拙劣な部分もあったのも否めないと思いますが、描かれている世界は愛すべき世界で、自分の過去も振り返りながら強い共感を覚えました。ただ東日本大震災後の日本にあって、「上を向いて歩こう。」のキャッチコピーとともに世に問う作品になりえていたかというと、どうも届いていないような気がしてなりませんでした。確かに登場人物たちはそれぞれの生い立ちや境遇を引き受け、その中で誠実に生きていこうとしています。それはやがて彼ら自身や家族、仲間が困難な中にあるときの確かな力として育っていくのでしょう(映画の中では描かれないことですが)。けれどもいま必要とされるのは、そのような「規則正しい日常」「歴史ある学び舎」「愛すべき仲間たち」「それを見守る大人」を喪失したり、あるいは最初から持たないような環境の中で、それでもなお「上を向いて歩く」ということはどういうことか、それが問われているように思うのです。
そんな中、先日最終巻が発売になった岩岡ヒサエの「土星マンション」は、その問いへの答えを示しているように思いました。
土星マンション 7 (7) (IKKI COMIX)
土星マンション」は、地球全体が保護区域となり、地上35,000mに建設されたリング状の建造物で人間たちが暮らすようになった時代に、中学卒業と同時に窓拭きの仕事を始めた少年ミツの物語です。この作品の凄みは、リング状の建造物の中の社会が上層、中層、下層の三層の階層社会として描かれていることです。ミツが生活するのは当然下層で、窓拭きの職人たちもみな下層の住人なのですが、そこには暗さはなく、窓拭きの職業に誇りをもって暮らしています。窓拭きのお客はほとんど上層の住人で、窓の外から見えるその暮らしぶりは下層とはまったく異なる優雅なものですが、それを見て羨むようなことはなく、彼らはその窓をいかにきれいに拭くかにしのぎを削るのです。ときどき上層のお客がミツたち窓拭きをお客として招いて話をする場面があるのですが、そこにも一切の妬みや嫉妬のようなものはありません。もちろん、ミツの父親は窓拭きの最中に地上に落下し帰らぬひととなってますし(そこから物語は始まる)、宇宙船プロジェクトを進めていたニシマルは下層住人であるということで研究職を追われ、妊娠中の奥さんも下層住人であるという理由で中層の病院で見てもらうことができずに亡くなってしまう(それが層間の対立を煽ろうとした原因になっている)という冷たい現実も出てきます。しかし最終巻では、窓拭きの交流から生まれた上層の住人の協力もあり、少年ミツを地上に送り届けるという下層住人たちのプロジェクトは成功裡に終わります。階層社会の現実、層間の対立という難しい背景を持ちながらも、それでも少年が窓拭きとして成長を成し遂げていくという物語を描ききった作者に僕は拍手を送りたいです。
上を向いて歩こう。」というのなら、「土星マンション」こそ読まれる作品だと思います。オススメです。