新海誠展にて。

先週の日曜日、国立新美術館で開催されている新海誠展に行ってきました。

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昨年末、小海町高原美術館で行われた「『君の名は。』展」の現地の空気感が新海作品のそのものように気持ちよく、また是非とも小海町で見たいと思っていたのですが、スケジュール的に行くことが叶わず、東京・六本木の国立新美術館での鑑賞となりました。とはいえ自然だけでなく都会の描写も新海作品のもう一つの魅力であり、また同美術館は「君の名は。」の舞台にもなっていることもあり、そこで見ることはまた違った楽しさがありました。

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当日は日曜日ということもあって、朝から大勢のひとで混雑していました。10時少し前に着いてチケットを買う列に20分ほど並んだあとようやく入場。会場内もかなりのひとでしたが、見るのに困るというほとでもなかったです。どちらかというと、隣で開催されていた安藤忠雄展目当てのひとの方が多かったみたいですね。

基本的に作品が時代順に展示されていましたが、順路を行きつ戻りつの鑑賞で、結局出口にたどり着いたのはお昼過の1時過ぎ。3時間弱かかりました。

昨年大ブレイクした「君の名は。」はそれ以前の作品で培われた様々な表現の集大成であることはよく言われることですが、今回の展示は「君の名は。」を出すためには「言の葉の庭」がなければならず、また「言の葉の庭」が出てくるには「星を追う子ども」が必要だったのだという試行錯誤の過程を強く意識させるものでした。

同じようなテーマの作品を反復的に作ることにより顧客のユーザー体験を向上させる手法は、ソフトウェアやネットワークサービスといった現代のプロダクトの開発に似ています。新海作品は、その圧倒的な映像美や音楽との調和という表面的な特徴だけでなく、むしろその制作プロセスが大きな特徴なのだと言えるかもしれません。

今回の展示で一番僕がよかったと思ったのは「言の葉の庭」の展示に掲出されていた2編の趣意書です。「『言の葉の庭』 - マーケティングについて」「『言の葉の庭』 - この作品について思うこと」と題された企画書(新海誠展図録 p.103)には、この作品の内容とねらい、誰にどう届けるべきかが明確に言語化されているのです。ある意味、作品制作の舞台裏・ネタバレであり、他の作品と何が違ってどうやって売っていくのかみたいなことがストレートに書かれています。これには2つの大きな前進が見られます。ひとつは作品の相対化。細田作品、宮崎作品、京アニ作品を例に挙げ、何が違いどこを目指すのかをはっきり示してあること、もうひとつは言語化を通じて作品に携わる多くのひとに正しく自身の意図を伝えようとしていることです。

ここに至る詳細について語る資料を持ち合わせていませんが、「言の葉の庭」前作の「星を追う子ども」の解説に書かれた「観客の反応から『今、観客は何を観たいのか、それと自分をどのようにリンクさせるのかを真剣に考えるきっかけとなった』」(新海誠展図録 p.71)という部分を受けて、この企画書2編が展示されていると推察するのが適当と思います。

僕個人の体験としてこの変化点で、「星を追う子ども」を観たときに「ああ新海さんもここで終わりかな」と思ったこと、そのあとの「言の葉の庭」で「こんなものが作れるなんて」という驚きがあったこと、それぞれがありました。そして、それはまったく偶然ではなく、作品の制作に関する前進があったからだと確認できたことが新しい発見でした。

制作環境の進化やツールの充実による表現技術の向上と、新海さん自身の作品(プロダクト)に対する向き合い方の前進による反復制作の行方がどうなるか、これからも見るのがとても楽しみです。

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