「空の青さを知る人よ」感想

「あの花」「ここさけ」に続く、超平和バスターズ秩父三部作の三作目「空の青さを知る人よ」。前作二作とは打って変わって、青春(あおはる)はとっくに通り過ぎてしまったけど、さりとて客観的に振り返られるほどには歳は離れていない、そんなアラサー世代を中心に据えた作品だ。メインキャラクターである“あお”(相生 あおい)と“しんの”(金室 慎之介の高校生時代)は高校生だが、この物語の真のメインキャラクターは、三十代を生きる“あか姉”(相生あかね)と慎之介金室 慎之介の現在)だ。かつて恋人同士だったふたりが、ひょんな成り行きで偶然の再開を果たすところから物語は始まる。よくあるドラマに聞こえるのだけど、僕はこの作品にすっかり魅了されてしまった。

僕を捉えて離さないのは“あか姉”の描かれ方だ。元恋人との不意の再会にもかかわらず、彼女は徹頭徹尾感情を表に出さない。酔いつぶれた慎之介を送っていく車内で「オレを待ってたんじゃないの?」と水を向けられても「さぁどうだろうね。ちがうだろうね。」とはぐらかし、ホテルの部屋で「減るもんじゃないし」とせまる慎之介に対し「それが13年ぶりに会っていう言葉かね。」「がっかりさせないで」と言い捨てて帰る。“あお”に寝床で恋人が誰かいたのかを聞かれたときも「それなりにそれなりはあったよ」と、やはりはぐらかした答えをする。感情を全面に出して突っ走る“あお”と“しんの”とは対を成すように、彼女の本心ははっきりとした形ではスクリーンには描かれない。それこそが両親を失い、妹の“あお”を背負って生きてきたた彼女の感情そのものなのだ。大きく感情を出さないことが彼女に課せられた枷であり、それを彼女自身も自覚している。しかしそれは決して後ろ向きな決断ではない。「井の中の蛙 大海を知らず されど空の青さを知る」と卒業アルバムにしたため、市役所でみちんこに「そろそろ慎之介との決着を付けたらどうだ」と言われても、これこそが自分自身で選んだ道なのだときっぱりと言い放つ芯の強さ。“あお”があれほど真っ直ぐなのは、そういう彼女の強さの現れのように思える。

ともすれば観客に「何を考えているのかわからない」と戸惑わせるギリギリの演出。この複雑なバランスを“あか姉”というキャラクターの上で見事に成立させている。これぞ秩父三部作の集大成だと思う。

そんな彼女が唯一はっきりと感情を出すシーンがある。イベント会場の裏での佇む慎之介に近づいて声をかける場面だ。秩父に戻ってくることを仄めかす慎之介に、まだまだとハッパをかける。そして慎之介が去ったあとに静かに彼女は泣くのだ。初回に観たときは、また秩父を出ていく慎之介を見送ることしかできない自分が悲しくて泣いたのかと思ったのだけど、2回目でそれは間違いだと気づいた。きっと彼女はうれしかったのだ。あのとき彼女がどんな思いで慎之介に声をかけたのか。13年という年月は生半可じゃない。自分はまだ本当に慎之介のことが好きなのか。そばに居られるのか。それを確かめるために「空の青さを知る人よ」をリクエストしたのだ。慎之介が歌う間、彼女は13年前のまだ両親も居たあの時代にに引き戻されていた。彼女に課せられた枷が解ける時間。うれしいというのとは違うかもしれないけど、また慎之介と袂を分かつ前の自分に戻れることを彼女は確信したのだと思う。

もちろんこれは全部僕の妄想だ。でもこんな妄想ができるほどのこの作品は緻密な描写であふれている。「そらあお」は、僕にとっては今年一番の作品になった。