「スカイ・クロラ」シリーズ(森博嗣・中央公論新社)

北半球一周ツアーで飛行機にたくさん載った影響か何かわからないけど、森博嗣の「スカイ・クロラ」シリーズを全部読み直して見ました。最初に読んだときは、「クレイドゥ・ザ・スカイ」で訳がわからなくなり、その前の「フラッタ・リンツ・ライフ」の読み方も間違ってたのでは... と読み直しを躊躇してしまっていました。
なので、今回は「ナ・バ・テア」から順に時系列を追って読み、かつ「本読みな暮らし」にある「『スカイ・クロラ』シリーズの謎解きに挑戦」を参考にさせていただきました。特に「クレイドゥ・ザ・スカイ」の主人公をどう読むかと、「スカイ・クロラ」の位置づけは大変参考になりました。再生技術とか記憶の移植とかそういう話を一切忘れるべきだったのですね。
乱暴に言うと「ナ・バ・テア」から「クレイドゥ・ザ・スカイ」までが本編で、「スカイ・クロラ」は後日談のように考えると、僕の中では矛盾なくつながる感じがします。
特に草薙水素については、本編があるから「スカイ・クロラ」の「私を殺して」がストンと腑に落ちるように思いました。ティーチャとの件はともかくも、「ナ・バ・テア」での比嘉澤に対する邂逅や「フラッタ・リンツ・ライフ」でのクリタとの最後の電話のやりとりなど、確かに文字には何も書かれていないのだけど、彼女自身の前向きな真剣さが痛いほど伝わってきて、僕を虜にするのです。
そう思うと映画のラストで泣いたりするのは、ちょっと違うかなと思ってしまいますね。いまさらですが。

「海軍反省会」

先日、書店の店頭で「海軍反省会」なる本を見つけたのですが、帯(だったかな?)に「NHKスペシャルで放映予定」とあり、ちょうど夏休み期間中ということもあり見ることができました。ちなみに「海軍反省会」とはなんだったのかというのは、リンク先のはてなキーワードを見てもらえばわかると思うので割愛します。

NHKスペシャルでは、その膨大な録音資料を3つのテーマにしぼって3夜に渡って放映されたのですが、そこで導かれていた結論(?)が「組織の前でいかに個人が無きものとなるか」というようなもので、非常に陳腐だったのが残念でした。

そもそもこういう会が昭和の終わりから平成のはじめにかけて113回にもわたって開かれていたという事実そのものがやはり驚きで、「海軍反省会」という形でお膳立てを行い、膨大な録音資料として残すという行為そのものが、既に「組織の持つ力」を具現しているのではないかと思うわけです。そういう個人を縛り付けているものは何であるのか、というところにもっと切り込んで欲しかったです。「国家」という巨大組織を基盤とした社会システムが鈍重になっていくなかで、より「個人」を基調とした社会システムへの転換点を迎えているにもかかわらず、やはり「組織」は魅力的なのだと思います。そこに拘泥する人間の本性を明らかにしていくことで、どうつきあって行くべきなのかを考えるような特集になっていれば、と思いました。

「満州事変と政策の形成過程」(緒方貞子・原書房)

緒方貞子氏の代表的な著書ということで図書館から借りて読んでみた。この本は氏がカリフォルニア大学バークレー校大学院政治学部に提出した博士論文がもととなって出版された「Defiance in Manchuria - The Making of Japanese Foreign Policy 1931-1932」の邦訳に加筆修正したものである。したがって、刊行は昭和41年(1966年)となっており、研究書としてはその時代背景を差し引いて読まなくてはいけない。しかしながら、当時はまだこの著書に出てくる関東軍関係者が実際に生きていた頃であり、氏も資料をたぐりながらも何人かの関係者にインタビューをしている。そういう意味では、当時だからこそまとめることのできた論文であったともいえよう。

さて、僕は端からの素人なので、これにいささかの論評も加えるつもりはないが、興味を覚えたのは最終的に軍、政府あるいは天皇およびその周辺によってなされた政策決定に対して、大衆がどのように影響を与えたか、という点である。以下、結論から該当箇所を引用する。

私は、満州事変の原動力となった帝国主義を「社会主義帝国主義」と定義してみたいと思う。無論丸山真男教授が指摘した如く、「フアシズムの進行過程における『下から』の要素の強さはその国における民主主義の強さによって現定される、いいかえるならば、民主主義革命を経ていないところでは、典型的なフアシズム運動の成長もまたありえない」ことは十分に認められなければならないであろう。日本のフアシズム運動において大衆が占めた比重は決して大きくなく、彼らはフアシズム運動の指導者達の心に幻影として存在したに過ぎないともいえよう。
このような観点からは日本の帝国主義を「社会主義的」と称することは不適当といえるかも知れない。しかし、それにもかかわらず一つの重要な点で大衆が昭和初期の帝国主義に影響を興えた事実にわれわれは注目すべきであると思う。(p.306-307)

本書では軍がどのようにして政策決定の過程に影響を及ぼし、最終的には外交政策の転換を通じて権力を手中に入れたかということを明らかにしているが、軍中央部や政府、天皇およびその周辺以外のプレイヤーとして、大衆の存在は当時ですら無視できない存在であったと思われる。とするならば、やがて破局に至る外交政策の転換点において、例えば大衆はそれを阻止しえたか、という点は大いに興味があるところだ。あくまで仮定の話でしかないのだが、それを考えていくことは、現在の政策決定と大衆動向を考えるのに等しいのではないかという気がする。

「紛争と難民 緒方貞子の回想」(緒方貞子・集英社)

紛争と難民 緒方貞子の回想

1991年から2000年の10年間に渡って、第八代国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子氏の本人自身による活動の記録「SADAKO OGATA THE TURBULENT DECADE - CONFRONTING THE REFUGEE CRISES OF THE 1990s」の日本語訳である。

具体的には氏の任期中に取り組んだ難民帰還活動、クルド難民、バルカン難民、アフリカ大湖地域における難民、アフガン難民の4つの地域におけるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の活動について、何を目指し、どのような経緯をたどり、結果として何をなしたのか(なさなかったのか)がまとめられている。日本語訳の題名には「回想」という言葉が用いられているが、この書の目的は過去の事実を明らかすることにより、明らかに現在そして未来の難民帰還活動を望むべき形にするにはどのようにすればよいかというメッセージが込められている。

恥ずかしながら、上記に挙げられたいずれの地域についても、僕自身は紛争があり難民が発生したという事実を新聞の片隅の記事やニュースで得ていた程度で、なぜそのような事態が発生し、現在もなお進行中なのかということについて深い興味を持ったことはなかったように思う。想像の域を出ないが、多くの日本人の認識はその程度であったのではないだろうか。バルカン難民については、冬季オリンピックを行ったサラエボが廃墟と化した映像がテレビを通じて流されていただけあって、多少なりとも関心を引いた面はあるかもしれない。けれどもアフリカ大湖地域に至っては、アフリカ大陸のどの場所でどのような国があって、なぜそのような問題が起きているかを説明できるひとはおそらく限定的なひとに留まるだろう。しかしながら、ルワンダには実際に自衛隊が難民救援を目的として派遣されているという事実がある。ルワンダの人は(たとえ一部であろうとも)日本が実際に難民救援に来たという事実を通して日本を見ているのに、日本にいる多くのひとはルワンダを知らない。このギャップは、絶対に埋めなければならない義務のように思う。

氏は、国際社会が決してあなたたちを見捨てはしていないのだということを示すことで、関係国との関係をつなぎとめ、何とか一人でも多くの命が救えないかと奔走した。限られた予算と人員と状況の中、多くの命は意味もなく失われ、圧倒的なひとたちは本意ではない生活を余儀なくされるなかで、それでもなお良い方向を求めて活動を続けるUNHCRの職員の方のことを考えると、がんじがらめの日本の国連平和維持活動への参加についても、それが明日の誰かを救うことができるのなら続けるべきだし、もっと自分たちがやっているという意識を持たないといけないように思った。それは以前少し取り上げた9条の議論にもつながるものだと思う。

たぶんもう少し突っ込みが必要だが現状を記録しておく。

「恐るべき旅路 火星探査機『のぞみ』のたどった12年」(松浦晋也・朝日ソノラマ)

恐るべき旅路 ―火星探査機「のぞみ」のたどった12年―

NRT→LAX→LHR→NRTの北半球一周ツアーのお供に選んだのがこの1冊。文部省・宇宙科学研究所初の惑星探査機PLANET-B(打ち上げ後「のぞみ」と命名)の構想から設計・開発、打ち上げから運用終了までを、関係者へのインタビューも含めてまとめたドキュメンタリー。予算、時間、組織、技術など様々な制約の中での労苦もさることながら、一研究者の発案で「あなたの名前を火星へ」というキャンペーンが行われ、純粋な研究目的の機械が多くのひとの想いや人生を運ぶ星へと変わっていく様は、宇宙開発の見方そのものの根底から変えてしまう力があった。

自分も含めてなんらかのプロジェクトに関わったことのあるひとならば、この「のぞみ」の体験はとても他人事には思えないだろう。途中で道を失って目的地にたどり着けるかどうかかわからなくなったり、ものすごく遠回りをしなければいけなかったり、目的に到達したとしても既にその意味が失われていたり、苦労した挙句に目的を果たせないことは珍しくない、いやむしろ日常茶飯時だから。

この本は読みものとしても十分印象的だったが、今後自分がいろんな仕事をしていく上での重要な知己を示唆してくれたように思う。僕がこの本から得たことは2つ。ひとつはモチベーションを維持することの大切さ。もうひとつはプロジェクトに関わる人々の人生の重さだ。特に後者については今まで深く考えたことがなかった。そのプロジェクトがどうであれ、関わるひとたちの人生の一部を食べることによってしかプロジェクトは成り立たない。逆に言えば、プロジェクトに関わるということは自分の人生の一部を差し出すことに他ならない。

まだ残り時間の計算をするほどの年齢にはなっていないとはいえ、少なくとも今のような立場で仕事に関われる時間は実はそんなに多くないのではないかという考えが頭をよぎった。仕事を選り好みできるほど能力があるわけではない。だから余計に、いまやっていることをより前向きに考えるよりほかない。そしてそれは結果として、同じ仕事に関わるひとの人生もよい方向に導くことができるはず。出張先で読むにはあまりに重い本だったけど、その価値はあった。

岩村暢子さん3冊

内田先生のブログの紹介で気になったので、原書にあたるべく家族と食卓に関する本3冊を図書館から借りて読んだ(もう随分前の話だけど)。

変わる家族 変わる食卓―真実に破壊されるマーケティング常識
“現代家族”の誕生―幻想系家族論の死
普通の家族がいちばん怖い―徹底調査!破滅する日本の食卓

1冊目「変わる家族 変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識」は、幼稚園から小学生ぐらいの子どもを持つ首都圏の主婦を対象に、日常の食事について記録及び聞き取り調査の結果をまとめた本で、2冊目「現代家族の誕生 幻想系家族論の死」は、その主婦の母親世代が経験した日常の食卓について、聞き取り調査を行うとともに歴史的背景の考察を含めてまとめたものである。いずれも研究書と呼んで差し支えないほど膨大な調査資料と時間をかけた考察が、ありがちなイデオロギー的現代家族論を一蹴する説得力を持って迫ってくる。

最新刊は「普通の家族が一番怖い 徹底調査!破滅する日本の食卓」で、基本的に1、2冊目の総集編あるいはそれを補完するような本であるが、このタイトルは全く見当はずれであるのが残念と思う。この本のタイトルをつけるような立場の人であれば、著者がなぜこのような本を書くに至ったかという動機は正しく理解しているはずだが、多分のマーケティングの意向でこのようになったのであろうか。受け手に対して恐怖感を煽りつつも自分はその枠外として批評を楽しむような趣向の、いかにも民放がやりそうなドキュメンタリーに名を借りたバラエティ番組にありそうなタイトルである。

誤解しないで欲しいのは、これらの本がそのような現代家族や現代社会の問題を無自覚に批判するような本では決して無いことである。もちろん内田先生のブログに抜粋されていたように、この本の一部を読めば無自覚な批判と取れる(事実を述べているだけであるにも関わらず)向きもある。

「家族揃ってご飯を食べない」「揃っていても食べるものはバラバラ」「買ってきた総菜やレトルト、冷凍食品が大半」「取り合わせや季節感は考慮されない」「子どもは家事を手伝わず、自分も実家に行けば全く家事を手伝わない」などちょっと眉をひそめたくなるような事実が次々と描写される。

が、それを読んで眉をひそめたくなるようなひとや、あるいは何をエラソウにと思っているひとほどきちんと本を読むことを、特に前2作を読むことをおすすめしたい。なぜそうなったのか。社会現象は決して単一の原因で語ることができず、多数の要因と歴史的背景が複雑に絡み合い、まさに今生きている僕らが意識するとしないとに関わらず「選択した」結果として現れているものであるという基本的な事実を確認するための良書と思うからである。

僕がこれら本の一番面白いと思った箇所は実は本編ではなく、あとがきのように書かれている付章の部分である。1冊目では「付論 家庭科で習った通り」で中学・高校で教えられている家庭科の教科内容の変遷が少なからず家庭の食卓のあり方に影響を与えていること、2冊目では「現代家族の誕生−そして必然的に食は崩れた」として1冊目の調査対象の主婦の母親世代の歴史的体験が50年の時を経て現在の食卓のあり方に大きな影響を与えていること、3冊目では「エピローグ 現実を観ない親たち」として理想とする食卓と現実が大きく乖離しているにも関わらずそれをまったく問題としない思考について書かれている。時間がなければここだけでも読んでも面白いと思う。

「株式会社という病」

株式会社という病 (NTT出版ライブラリーレゾナント)

内田先生のブログで書評が載っていたときから気になっていたのだけど、ようやく読む機会を得た。基本的にはビジネス書の体裁になっているので物語を読むような没入感はなかったし、書かれていることもそれほど独創的といえるものではなかったけれど、内田先生が触れた平川氏のバックグラウンドを知れば、平川氏がこの本を書かねばならなかった理由が理解できるといえよう。

前回の日記で「徳川慶喜の子ども部屋」を取り上げたけれども、それと「株式会社という病」を同時に読んだのは偶然ではあったとはいえ、確かな繋がりを感じずにはいられなかった。つまり旧来、日本の「会社」というのは「お家」そのものであり、社長は主人で社員は奉公人だった。なので、要職が世襲されるのは当然であり、そこに疑問をはさむ余地はなかったのだ。また「会社」は常に社員にオーバーアチーブを要求する。それは雇用契約によって社員という立場にあるという事実からは到底理解できない行為である。さらに要求されるだけならまだしも、社員自らがそのように行動することが美徳とされたのだ。

このことを「お家」からみると、例えば継ぐべき男子が居ない場合はよそから養子を取って家督を継がせた。現代を生きる僕にとってはそんなに簡単に他人を養子に取れるものだろうか、と思ってしまうのだが、これを「会社」の社長と読み替えれば、別に「お家」を赤の他人が後を継いだっていいわけである。

しかしながらそういう「会社」が「株式会社」となった場合に何が起きるか。例えば「お家」が赤の他人のよって売買される商品となり、ある日突然主人を変えられ、血縁者や奉公人が「お家」からまるまる追い出されるとしたら。もちろん「会社」は「お家」から変わらなければいけないのだろう。けれども、もし「お家」も「会社」と同じように変わるべきだといったら、どう思うだろう。それがそこに住まうひとを幸せにするといえるのか。

もちろんこの問いは二者択一ではない。けれども僕はその答えをまだ見つけられずにいる。多くのひとにとっても同じではないかと思う。