「徳川慶喜の子ども部屋」

徳川慶喜家の子ども部屋 (角川文庫)

これもベッキーさんシリーズの参考文献。徳川幕府第十五代将軍徳川慶喜の孫娘である著者・徳川喜佐子さんが幼少時代を過ごした小石川第六天町での生活描写を中心とした回想録。ちなみに著者の姉は高松宮妃喜久子。彼女も女子学習院に学んでいて、前回取り上げた朝吹登水子さんとの近い時代、近い社会的地位の下で生活しつつも、その暮らしぶりやものの考え方が異なるのが面白い。一方は実業家の娘で外国人との交流が日常的にある環境で育ち、もう一方は武家の末裔とはいえ宮家の影響を色濃く残した環境で育っている。軽井沢での生活描写の違いや太平洋戦争に対する記述もかなり異なっている(著者の夫は旧帝国陸軍の軍人であることも影響しているとは思うが)。現在の世を生きる我々が想像する上流階級というのは朝吹さんのような生活かもしれないが、おそらく大半は徳川さんのような生活だったのではないかと想像されうる。

家は一種の会社であり、それぞれに職務が有り、それを全うすることが義務とされた。会社の中で生活しているような感覚。しかしそれを窮屈なことだと思うのは正確ではない。このあたりの生活感覚は、商売をしている家も似たり寄ったりなのだが、事実自分もそういう環境で生まれ育ったから、殊更そう思う。それを窮屈だと思うのは、おそらく「会社」の定義が異なるからなのだろうと、もうひとつ読んだ平川克美さんの「株式会社という病」で思ったのだけど、それはまた次回に。

沖縄での「集団自決」教科書検定に対する11万人集会

今朝の朝日新聞(東京版)の1面を見て、ある本の感想を書いていなかったことを思い出したので、ちょっと書いてみる。
「平和国家」日本の再検討
以前に取り上げた本の1つ「新憲法の誕生」を書いた古関彰一さんの近刊。日本国憲法が持つ平和主義の歴史的意味と国際情勢から見た立ち位置を、自衛隊、安保条約、集団的自衛権の問題など戦後日本がたどってきた安全保障政策から読み解いている。2002年の著作ということで、9.11後の世界の安全保障の有り様についても触れられているのが興味深い。
この本を見つけたときに図書館の書架を眺めていて感じたのだけど、結局日本国憲法の問題の行き着く先がいわゆる9条の問題に集約されてしまうのはなぜなのかというのは、憲法の本を読み始めようと思ったときの最大の疑問でした。しかしこの本を通じて、それは他でもなく、当時の国際情勢から日本が独立した国として認められるには、とりわけ9条のような条項を持たざるを得なかったという憲法の成り立ちによっていることを理解しました。また同時にそれは現代においてもやはり変わっていないということも。日本国憲法とは日本における最高法規であるという国内のメンタリティとは独立して、世界とりわけ東南アジア地域において日本が他国とどのように関わっていくのかを宣言する側面も持ち合わせていて、日本自身がどうしたいかということだけで憲法を考えるのでは全く足りないのだということに気づかされた、というのが正直なところです。以下、引用。

改憲構想の根本には、まず、第一に、一貫して日本が国際社会において、米国の要請に応えられる経済力に見合った軍事力による協力をしたいという願望、一言で言えば「普通の国」になりたいという願望がある。しかし、戦後も半世紀を過ぎた現在、それはもはや幻想でしかないことを知るべきである。本書で既に述べたごとく「日本を守る自衛隊」は、有事の際には米軍の指揮下にある。米軍の指揮下にあるが故に、自衛隊は国際社会で認知されている。この事実である。憲法を改正して「国防軍」を創ったとしても、有事の指揮権を日本が独自に持つことはできない。一国の指揮下で、一国のための行動する軍隊は、もはや米軍を除いて、先進国に存在することは不可能なのである。(p.244)

そして、この状況がそのまま反映されているのが今の沖縄の現状で、9条の持つ「平和憲法」というある種の理想を国民に対して担保するために沖縄が捨石にされているのではないかとすら思えるのです。9条を「平和憲法」として守るという主張に沖縄の現実をどうすべきかということが過分にして触れられない。今回の11万人の集会は多くの日本人が持つ沖縄に対する無理解の現れのような気がしてならないのです。

「私の東京物語」「私の軽井沢物語」

私の東京物語―蘇る日々―わが家のアルバムから
ベッキーさんシリーズの参考文献になっていた朝吹登水子さんの本2冊を読了。物語に挿入されている女子学習院にまつわるエピソードや軽井沢での生活描写の大半は、この本から借用されている模様。ということは、とりもなおさずそういう生活をしていたひとがいらっしゃる、しかもそれなりの数、しかもそれほど遠くない昔に、である。本当に70年ぐらい前までは、物語で書かれているような上流階級の世界があり、しかもそれが社会的常識として存在し、別の世界として成立していたわけです。その是非はどうであれ、しかも形を変えて今も残っているかもしれないけれど、確かに幾ばくかのものは失われてしまったという事実はあると思う。もう昔には戻れないけど。残念ながら。
話に出てくる高輪の朝吹邸(現東芝高輪倶楽部)が、大学時代の友人の自宅のすぐ近くということがわかってちょっとびっくり。桂坂あたりはよく歩いていました。友人の部屋からも高輪プリンスホテルの庭(元北白川宮邸)が見えるし、昔の地図を見ると品川駅の向こう側(港南口)は海なので、東京湾が見えるという記述も納得。

「女子学習院五十年史」他

先週末、地元の図書館に寄った折にダメもとで「女子学習院五十年史」を検索してみると、書庫に蔵書されていることがわかり、早速図書館のひとに頼んで書庫から出してもらう。表紙には八重櫻の校章が捺されていて、発行は昭和十年となっている。もちろん非賣品。なんでこんなものがあるのかと頁をくると、やはり某氏からの寄贈となっていた。紙は随分と日焼けていたが、状態はよい。表紙からしばらくは皇后陛下をはじめ宮家の女性の方々の写真が載っている。その後は華族女学校からの歴史がつづられていて、最後には卒業者の名簿まで載っていた。時代が時代なればおよそ市井のものが見られるような代物ではなかっただろう。なんだか妙な感慨を覚える。
聞くと特に貸し出し禁止というわけではなく借りられると言われたたが、さすがにこれだけの歴史的資料をおいそれと借りるのもはばかられたし、ここにくればいつでも見られることがわかったので、とりあえず女子学習院長の序と巻末にあった校内見取り図をコピーする。
ついでに東京の古い地図を探すと明治、大正、昭和の一万分の一地図の資料があったので、ちょうど同時代と思われる大正十四年を選択。早稲田、上野、四谷、日本橋、三田、新橋、品川の七葉をコピー。このころの地図は見ていてとても面白い。
また「街の灯」の参考文献に載っていた朝吹登水子さんの「私の東京物語」「私の軽井沢物語」が書架にあったので、これを借りて辞去。大収穫だった。

ベッキーさんシリーズ妄想

2冊を通して読んでいろいろと思いを巡らせる。

特に英子の父、花村氏。ベッキーさんの身元からするに、これを娘のシャプロン兼運転手として引き合わせたところを見るとなかなかの人物といえよう。別宮先生とは友人のような台詞があり、英子がベッキーさんに英語を教えた話で笑ったところから、英国滞在中に何らかの関係があったのかも。形上は雇い入れたことになっているがが、実際は匿ったというのが本当のところだろう。別宮先生から自分に何かあったときにはというような話が交わされていてもおかしくない。また息子(英子の兄)に対して、本来であればとっくに会社の仕事をやらせていてもおかしくないのに、大学院へ行かせているのは当然わけありだろう。

こう考えると3冊目がすんなりとこれまでと似たような展開になるとは思えない。特にベッキーさんの身元が英子にも割れてしまったので、これまでどおりの穏やかな関係は望むべくもないか。さらに舞台となっている時代が時代だけにどうしても暗い想像になってしまう。

ただ北村薫の作品は、そういう暗さを背負っていても根底には絶対的な生への肯定がある。「幻の橋」で「死なないでください。」と言った英子。「秋の花」で「救うことはできる。そして、救わなければならない、と思います。」と語る円紫さん。待ち遠しいです。

「街の灯」再読

たまらずベッキーさんシリーズ1冊目を再読。「玻璃の天」を読んでからこちらを読むと、やはり物語の序盤という感じが否めない。過去の感想では「銀座八丁」を推していたが、表題作「街の灯」の方が英子の成長過程を垣間見るようで楽しい。

それはそうと作中に「村上開新堂」の菓子の話が出てきたのだけど、この夏に帰省の折に親戚のうちへ遊びに行ったときに帰りにお土産で「村上開新堂」のロシアケーキをいただいた。もちろん京都のものなので、はてどういう関係かとぐぐると、東京(こちらが作中の舞台)と京都にそれぞれ店があって、お互いに同じ名前を名乗りつつも交流はなくなかなかわけありっぽい。「幻の橋」の内堀家みたいなもの?まぁ帰ったら聞いてみよう。ともかく東京の方の「村上開新堂」は一見さんお断りでいまも変わらぬ商売をつづけているというのはすごいことだ。

そういえば作中の女子学習院は青山となっていて、青山表参道商店街のページを見ると今の秩父宮ラグビー場付近にあった模様。毎日ごく近くを通る身としては、この通りを英子を乗せたベッキーさん運転するフォードが通っていたのかと思うとなんだかドキドキ(フィクションだってば)。作中には昭和初期の東京の地名や風景描写がたくさん出てくるので、そのうち古い地図や写真を見ながら追ってみようと思う。

「鉄道」×「蒼井優」

TITLe (タイトル) 2007年 10月号 [雑誌]

いつも利用する銀座線渋谷駅のホームに「TITLE」2007年10月号(文藝春秋)のポスター。特集は「憧れの列車でめぐる世界の鉄道旅行。Part2」。おぉ買わねば。そういや確か昨年も買ったなーと思いつつよく見るとSpecial Talk 蒼井優「忘れられないシベリア鉄道の旅」とな。なんでこういうところに出てますかね。もうっ。

でも記事の中身はそんなに鉄い話はしていなかったのでちょっと期待はずれ。まぁしゃーないか。

そういやオーストラリアでインディアンパシフィックとか乗ったんだよね。海外で列車の旅といえば後にも先にもあれっきり。