沖縄での「集団自決」教科書検定に対する11万人集会

今朝の朝日新聞(東京版)の1面を見て、ある本の感想を書いていなかったことを思い出したので、ちょっと書いてみる。
「平和国家」日本の再検討
以前に取り上げた本の1つ「新憲法の誕生」を書いた古関彰一さんの近刊。日本国憲法が持つ平和主義の歴史的意味と国際情勢から見た立ち位置を、自衛隊、安保条約、集団的自衛権の問題など戦後日本がたどってきた安全保障政策から読み解いている。2002年の著作ということで、9.11後の世界の安全保障の有り様についても触れられているのが興味深い。
この本を見つけたときに図書館の書架を眺めていて感じたのだけど、結局日本国憲法の問題の行き着く先がいわゆる9条の問題に集約されてしまうのはなぜなのかというのは、憲法の本を読み始めようと思ったときの最大の疑問でした。しかしこの本を通じて、それは他でもなく、当時の国際情勢から日本が独立した国として認められるには、とりわけ9条のような条項を持たざるを得なかったという憲法の成り立ちによっていることを理解しました。また同時にそれは現代においてもやはり変わっていないということも。日本国憲法とは日本における最高法規であるという国内のメンタリティとは独立して、世界とりわけ東南アジア地域において日本が他国とどのように関わっていくのかを宣言する側面も持ち合わせていて、日本自身がどうしたいかということだけで憲法を考えるのでは全く足りないのだということに気づかされた、というのが正直なところです。以下、引用。

改憲構想の根本には、まず、第一に、一貫して日本が国際社会において、米国の要請に応えられる経済力に見合った軍事力による協力をしたいという願望、一言で言えば「普通の国」になりたいという願望がある。しかし、戦後も半世紀を過ぎた現在、それはもはや幻想でしかないことを知るべきである。本書で既に述べたごとく「日本を守る自衛隊」は、有事の際には米軍の指揮下にある。米軍の指揮下にあるが故に、自衛隊は国際社会で認知されている。この事実である。憲法を改正して「国防軍」を創ったとしても、有事の指揮権を日本が独自に持つことはできない。一国の指揮下で、一国のための行動する軍隊は、もはや米軍を除いて、先進国に存在することは不可能なのである。(p.244)

そして、この状況がそのまま反映されているのが今の沖縄の現状で、9条の持つ「平和憲法」というある種の理想を国民に対して担保するために沖縄が捨石にされているのではないかとすら思えるのです。9条を「平和憲法」として守るという主張に沖縄の現実をどうすべきかということが過分にして触れられない。今回の11万人の集会は多くの日本人が持つ沖縄に対する無理解の現れのような気がしてならないのです。