「”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する」(柴田優呼・作品者)

“ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する――隠蔽されてきた日米共犯関係の原点

先日実家に立ち寄ったときに置かれていた本をみて興味を持ち図書館で借りて読了。一番印象に残ったのは、オーストラリア記者バーチェットが1945年9月3日、広島の広島逓信病院で取材を行ったときの一幕を書いた文だ。

病院でも、バーチェットはアメリカ人と思われ、犠牲者とその家族から「燃えるような憎悪」のまなざしを向けられた。看護婦の大半も死に絶えてしまったため、家族が看護するほかない状態で、家族のいない場合は入院すらできないという悲惨な状況だった。案内した勝部玄医師は、これ以上ここにいるなら命の保証はできない、とバーチェットに告げたという。
当時こうした厳しい対米感情があったことは、戦後の言説ではあまり取り上げられることはない。(中略)「敗戦を認めたくない」心情が日本社会に今も漂っているのは、こうした怒りと直接向き合わず、それを押し隠してきた、ということも一因ではないかという気もする。

僕らは無意識のうちにあの敗戦の日を境に大日本帝國と現在の日本国を分断して考えてしまうが、世界はあの日を境には何も変わっておらず、僕らが相変わらず大日本帝國の末裔であり、そのコンテキストの中で歩みを進めてきたと考えるべきなのだ。したたかな選択であったはずの戦後復興が、いつの間にか自分こそが世界秩序の従順な信奉者であるように錯覚するまでに至ったことに、もっと自覚的でなくてはならない。最近の言説を見ると、どうも自家中毒にかかってしまっているように感じる。世界はあなたが思うほどあなたのことを気にしていないし、わかってもくれない。それでも世界に問う価値のあるものとはなんだろうか。それこそが本当に考えることなのだと思う。