「20歳のときに知っておきたかったこと-スタンフォード大学集中講義」(ティナ・シーリグ/阪急コミュニケーションズ)

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

「いま、手元に5ドルあります。2時間でできるだけ増やせと言われたら、みなさんはどうしますか?」で始まるこの本は、スタンフォード大学で教鞭を取るティナ・シーリグが、講演のためにまとめた内容を書き下ろしたもの。主に彼女の授業での課題とそれに取り組んだ学生たちの反応について、また「起業家精神」を体現する何人かの事例を紹介しながら、自分の能力を引き出すためのものの考え方について説いています。実際の起業のための指南というよりは、魅力ある生き方とは何か、という彼女の信念を書いた本、というのが妥当なところでしょう。

普段こういう本はあまり読まないほうなのだけど、たまたま図書館で予約を入れて順番が回ってきたので、これも何かの機会と思い読んでみました。読み進める途中、自分自身の過去の体験も含めて、思いのほか様々なことに思いを馳せることになったので、その中で2つほどを書き留めておきたいと思います。

ひとつは、これから社会に出ようとする学生には良きメンターが必要だということ。
この本を読みながら僕は学生時代にやっていたある活動のことを思い出していました。僕は学生時代、子どもを相手に人形劇や影絵劇を見せるサークルに入っていて、大学の長期休暇中に地方の小さな町の小学校を一週間ほどかけて回る公演旅行をしていました。まずだいたい一週間で回れる程度の規模の小学校を持つ町を洗い出した上で、その町の担当(だいたいは教育委員会)のひとに直接電話するという飛び込み営業さながらのことをやっていました。話を聞いてくれそうなところに対しては、こちらから改めて資料を送ってどういう活動をやるのかを具体的に説明するという流れです。
いまから思えば、どこの誰かもわからないような学生がいきなり電話をかけてきて、授業の時間をつぶして公演をさせろというのですから、よくもまぁ話を聞いてくれたものだと思います。当時、先方に説明するときに僕らが気にしていたのは、主には公演内容そのもので、演目はもちろんのこと誘導や進行までどのような感じでやるかを説明し、学校行事として子供たちの鑑賞に耐えうる公演であることを説明していました。
でもおそらく先方はそんなことは大きな問題としては捉えていなかったでしょう。この学生たちは本当に信頼に応える気持ちをもっているかどうか、重要なのはおそらくその一点だけだったでしょう。
これがわかったのは、自分が会社の採用面接の端っこに座って、実際に応募者に向き合ったときです。まさに立場を変えればなんとやら。もし自分が学生のとき、この本に出てくる授業のように、もう少し社会と自分のかかわりを考えるトレーニングを受けていたのであれば、またちがった見方で公演旅行を捉えることができたかもしれません。当時は候補地がきちんと決まって、それなりの予算で予定どおり公演ができることばかりを気にしていました。でも本当は、小学校以外のもっと別の場所で僕らのような存在を必要としてくれていた場所があったかもしれない。交渉する勘どころさえもっていれば、もう少し自由にやれたかなとも思いました(まさに後の祭りですが)。

もうひとつは、僕らは本質的に贈与の環の中で暮らしているということ。
このことは社会に出てからもしばしば忘れてしまうことですが、自己完結するよりも他人と築かれる贈与の環に強くコミットするほうが、はるかに自由で結果として得るものが大きいのです。ただ贈与の環それ自体は、自分がいてもいなくても回っていくものなので、ともすれば自分というものの存在が価値のないように思えることもあるかもしれません。でも結局のところ「君が落ち込んでも世界は何も変わらない(byミルカさん)」のであって、自分という閉じた範囲だけではなく、贈与の環を流れるものにきちんと目を向けられるかどうかが、楽しく生きるためには必要なのかなと思いました。

「フェイスブック 若き天才の野望」(デビッド・カークパトリック/日経BP社)

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

正月休み明けの北米出張の飛行機の中で、映画「ソーシャル・ネットワーク」を観ました。映画は映画として面白かったのですが、いったいどこまでが実話でどこが脚色だったのかを知りたくなって、ちょうど日本公開に合わせて出版されたこの本を読むことにしました。著者のザッカーバーグをはじめとする関係者に対する膨大な取材に基づく語り口は、多くの事実を含みながらも非常に刺激的で、映画同様にドラマのような面白さもあり、また個人的には多くの「発見」があった本になりました。

僕は 2 年ぐらい前から仕事上の成り行きでフェイスブックと関わることになったのですが、一緒に仕事をしてサービスをリリースした後でも、彼らのものの考え方(プリンシパルのようなもの)について実は何もわかっちゃいなかったんだと思い知らされました。

僕が個人的に印象に残ったのは以下の一節です。

ザッカーバーグは……フェイスブックが誰かのつくったニュースを追いかけるためのツールではないことに気づいた。フェイスブックはそれ自身の上で、ニュースをつくるためのツールだった。実は、ザッカーバーグはニュースフィードを常にそういう目で見ていた−大切なニュースのリアルな発信源であると。友達のニュースも、世界のニュースも。フェイスブックが2006年にニュースフィードを世に出すずっと前に、ザッカーバーグは正確にどうすればアップデートが本物にニュースになるのかを几帳面に手帳に書き記していた。ニュースフィード「記事」のスタイルシートや文法規則までつくる周到さだった。(p.429)

フェイスブックでは、ユーザインタフェースの根幹をなすニュースフィードに、アプリケーションが記事(ストーリー)を投稿する際に守るべきガイドラインがあります。

Stream Stories - Platform Policies

記事(ストーリー)はいくつかの項目(フィールド)から構成されています。項目(フィールド)は、messasge, picture, link, name, caption, icon, actions などがあり、それぞれ何を入れるべきかが細かく決まっています。

特にアプリケーション自身が自動的に生成する文言を入れるフィールドと、ユーザ自身が入力すべきフィールドは明確に分けられています。アプリケーションが message フィールドに自動生成のメッセージを入れることは禁止されています。またアプリケーション自身がストーリーを投稿する際に、可能な限りユーザが自身の言葉でコメントを添えられるように(つまり message にユーザのコメントが入るように)投稿インタフェースを構成することを要求されます。さらにストーリーを構成するフィールドには「Call to action」という相手に対して何か行動を促すような文言を入れることも禁止されています(actions に入れなくてはいけない)。そしてこれらはフェイスブック上のインタフェースにフェイスブックが決めたように表示されます(投稿側でレイアウトや装飾の指定はできない)。

仕事をしていく中で、彼らはことあるごとにストーリーの内容について、あるいはその投稿のインタフェースについて、事細かにフィードバックを返してきました。時として細かすぎると思えるぐらいにです。

どうしてそこまで細かいことにこだわるのか。僕自身もフェイスブックのユーザで、当時は「Mafia Wars」や「Cafe World」のストーリーがウォールを埋め尽くすのにうんざりしていたので、ニュースフィードをより意味のある読みやすいものにするという意図に基づいたものだとは理解していました。

でもほんとはそんな受け身な話ではなかったのです。

最初からフェイスブックに投稿される記事(ストーリー)は、そのままメディアが作る「記事」と同じレベルになるように設計されていた、ということだったのです。そう考えるのであれば、どれも当然配慮されるべきことばかりでした。「記事」は広告ではないし、そのひとの意思が入ることで、唯一性が生じ、その「記事」の価値が高まるからです。

当たり前のことなのですが、この本を読んでようやく腑に落ちました。

「Cut」9月号「ジブリがアリエッティに託したもの」

Cut (カット) 2010年 09月号 [雑誌]

遅ればせながら「Cut」9月号のアリエッティの特集記事を読んだ。

最初の宮崎駿へのインタビューを読んで「ああ、やっぱり宮さんはうれしかったんだな」と直感的に思った。NHK「ジブリ 創作のヒミツ 宮崎駿と新人監督 葛藤の400日」という番組で、初号試写のあとに宮さんが米林監督の手を取って称えたのをみて「これは」と思っていたのけど、それがこの記事を読んで確信に変わった。
「Cut」では昔から何度となく宮崎駿へのインタビュー記事(しかも長文の)が載っているが、決して専門雑誌ではないのにもかかわらずいつも核心に迫る内容で楽しませてくれる。それはひとえにインタビュアーの渋谷陽一のなせる業であると思うのだが、今回も軽快な突っ込みがありつつも決して本質を外さない記事は非常に面白かった。
ただ今回の記事でいつもと違うのは、2万字インタビューと書かれているのだけど、実際のところは要するに宮さんも渋谷さんも待ち望んだ新しいジブリに出会えたことにひたすら賛辞を送っている、それだけが延々と語られているということ。多少の編集が入っていることを差し引いても、こんなに前向きな話ぶりはここしばらくはなかったのではないかと思う。

僕は前作「崖の上のポニョ」についてどう捉えるべきか、いまだに落ち着くところを見つけられずにいる。それは誤解を恐れずに言えば、後ろに見え隠れする宮崎駿の恐ろしい負のエネルギーを感じてしまうからなのだ。本当に僕はあのままの路線でジブリが進んだとしたら、それがどんなに素晴らしい作品であったとしても、とてもついていけないと思っていただろう。
今回「借り暮らしのアリエッティ」という作品の中でも、その片鱗は随所に見て取れた。そもそも二人の主人公が滅び行く小人の種族の少女と重い病を患う少年という設定。しかも舞台となるのは下界からそこだけ取り残されたような古いお屋敷。住んでいるのは老婦人と年老いたお手伝いさんというから救いようがない。いくら花に彩られた庭があり、心地よい風が吹こうとも、死の影が通奏低音のように響いている。
そんな中で繰り広げられる恋愛譚に、宮さんだったらどんな結末を用意していたか。もちろん脚本を書いたのは宮さんだから、話としては同じところに着地したかもしれないのだけど、見せ方や観終わったあとの印象はずいぶん違ったものになっていたのではないかと想像される。

僕が「アリエッティ」を観てうれしかったのは、死の影の通奏低音はそれはそれでありつつも、二人が出会いを通じて変えたのは結局のところ彼ら自身だったというところ。これはぼくはとても今日的だと思った。
彼らにとっても、今日を生きる僕らにとって滅びは既に生活の一部になっている、という言い方をするとちょっと格好良すぎだけど、多くのひとが世紀末的思想ではない明るくない未来についての実際的な予感を持っているのは事実だと思う。それに対してニヒリズム的になるか、世界を革命するか、自分が変わるかみたいなところを突きつけられて状況なのだが、実際に取れる方法論は残念ながら最後のひとつしかないのだと思う。前者二つはまだ滅びが実際の予感として感じられる前の幻影みたいなもので。
アリエッティ」で言うと、たぶんあの屋敷に残るってのがニヒリズムで、屋敷をぶっ壊すというのが世界の革命で、屋敷を出て行くというのが自分が変わることなのだと思う。そしてそれがすれすれの恋愛譚で構成されるところの美しさ。後の米林監督へのインタビューで少女漫画の話が出てきて、なるほどなぁと思ったのだけど、「美しいものを美しく」という切り取り方でストンと落としている。笑いがあったりスペクタクルやカタルシスがあるわけではないのだけど、確かに心に響くものがありました。

米林監督って同い年なんですよね。新海さんも、柳沼さんも、やっぱりなんか同世代ってものすごく波長が合う感じがして、それは勝手な思い込みかもしれないけど、とても好きです。

「これからの『正義』の話をしよう」(マイケル・サンデル、早川書房)

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

NHK「ハーバード白熱教室」を見始めたのは途中の第7回からだったので、ちょっと残念に感じていたのだけど、元ネタ本の日本語訳が読めるとあって、最終回終了後に早速読んでみた。講義の前半に出て来たと思われる「功利主義」「リバタリアニズム」についてようやく話が見えた。最終回でサンデル教授自身の「コミュニタリアニズム」に関する持論がまくしたてるように展開され、少し消化不良気味だったのだけど、それもなんとか咀嚼出来たように思う。まぁそれはそれとして。

この本の奥付をみると初版が「2010年5月25日」となっていて、僕の持っているアマゾンから買った本は「2010年6月29日」でなんと33版!一回の増刷でどれぐらいの部数を刷っているのかは定かではないのだけど、相当な部数が売れているということになるだろう。しかしこれは驚くに値しない。なぜなら、もう既に多くのひとは気づいているのだと思う。いま、社会の仕組みを考えるにあたって、つまり具体的には行政であったり法律であったり、ひいては政治と呼ばれるものについて、何が必要か。

話を少し過去にさかのぼらせてもらう。自民党が小泉郵政選挙で大勝したときに、にわかに憲法改正の話が現実味を帯びて議論された期間があったように思う。実際僕もその影響で日本国憲法というものに興味を持ち、いろいろ本を読んだ。そのうちのいくつかはこの読書日記でも触れている。その自民党憲法改正草案での一番の議論の焦点になったのはとりもなおさず第9条であると思うのだが、個人的には自民党が草案を作る過程において一番こだわりがあったのは別のところだったように思う。憲法前文である。実際に試案の付帯資料として「前文作成の指針」が明記されている。その中の一節にはこうある。

現行憲法に欠けている日本の国土、自然、歴史、文化など、国の生成発展についての記述を加え、国民が誇り得る前文とする。

僕はこの主張には一定の理解をしつつも、どこかおかしみを感じずにはいられない。国の成り立ちを決める憲法について、国民が誇らしいと思うかどうかを憲法の実際の条文に対して感じられるようにというのであればわかるのだけど、なぜに前文なのか。また前文に対してそのような役割を課すということは、とりもなおさず国民が誇らしいと思うものと憲法条文の内容については、厳密な意味において関係がないということを認めてしまっているようにも思えるからである。それでもなおこの草案における前文の持つ意味合いは大きい。教育基本法改正で議論になった「愛国心」の問題についても結局根っこは同じところにあるのではないかと思う。それは単なる社会の秩序にとどまらない、サンデル教授の表現を借りるのであれば、誇りや栄誉と賞賛に関する一定レベルの政治の介入である。

しかしこれに対して、日本の少なからずのひとにアレルギーがあることを無視することはできない。戦前の日本がそうであり、講義でも述べられていたが、そのような介入は個人が帰属する文化や価値観に対する権利を制限することにつながるからである。けれどももう多くのひとは気づいている。経済を基軸することより他のことを権利を侵害しないという一点で忘れていられる時期は終わったのだと。それ以外のときと向き合うときが来たのだと。

例えば「子育て支援」を取ってみても、国が直接子育てを賞賛することは、子を持たない・持てないひとに対する価値観を間接的に認めていないことにならないのか、という問いはもう長らくされてきた。それに対して「子育て支援」は「少子化対策」と名前を変えて「人口構造のアンバランスによる経済活動の停滞や年金問題に対応するための経済的な対策」になった。でも、今求められるのは「子どもを持ったり、教育に携わることへの栄誉と賞賛」についての答えなのだ。もちろんそれに対する価値観は多様であり、どれかを選び取るということは難しい。でももうその本質を見ない議論は多くのひとにとって意味がないのだと思う。少なくとも僕にとってこの本は、それに対して理論的裏付けを与えてくれるものでした。

書いていて、ちょっと以下の話につながるところもあると思いました。興味のあるひとは読んでみてください。
「いまさらながら、「朝まで生テレビ〜若者不幸社会〜」東浩紀 ”退席” に思う」

「迷走する両立支援 いま子どもをもって働くということ」(萩原久美子・太郎次郎社エディタス)

迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ

TwitterのTLで流れていた kobeni さんの日記「ある日、あなたが、長時間労働できなくなったら。〜「迷走する両立支援」を読みました〜」を見て、何か今まで見たのとは違うレベルの子育てと仕事の関係の議論に興味が沸いて読んでみました。

感想を一言で言えば「重い」。既に多くのひとがコメントされているように、丁寧な事例採録から展開される筆致は、読むものを捉えて離しません。そして当事者であればあるほど、そのリアルな言葉が自分の置かれた状況と重なり、「痛い」とまで言わしめるほどの感想を持たせるのだと思います。ただ著者の萩原さんも書かれているように、この本は特に何らかの処方箋を提示しているものではありません。ともすれば陥りがちな安易な提言などは一切排除され、彼女自身が多くのフィールドワークを通じて苦悩したその過程がありのままに描かれています。「迷走する」と形容されるこの本のタイトルは、両立支援の様々な施策のみならず、彼女をはじめとするこの問題に関わる全てのひとたちが感じている思いに他ならないのではないか、そんなふうにも思いました。

できるだけ当事者の声や現場の事実を取り上げている本の感想を一般論で返すのは趣旨に合わないと思い、自分の事例をもって少し感想を書いてみたいと思います。自分は子ども二人(小学生、幼稚園児)で共働きをしているとはいえ、この本で取り上げられてる事例よりははるかに恵まれていると思います。僕はソフトウェア開発という長時間労働の典型みたいな職場ではありますが、今どきめずらしく完全フレックス(コアタイムなし)が許されています(たぶん... 査定はともかく上司や人事からお叱りを受けたことはない)。奥さんは学校関係で勤務時間は非常に厳しく(当たり前ですね)休めない職場ではありますが、残業が発生することはあまりなく(会議がのびるとかその程度)、週休3日で長期休暇中は在宅勤務ができます。手が足りないところは、延長保育、民間学童保育やベビーシッターの方にお願いしたりしています。僕が出退勤時間を調整したり、彼女が時間をかいくぐって用事をしたりもします。そういう意味では職場や地方自治体が提供する両立支援の制度的なものはほとんど利用せずに、なんとかやってこれていると思います。ただ、だからといって、この本が取り上げている問題にひっかかっていないかというと、そういうことでもないのです。

ひとつは「均等」の問題。やはり子育てをしていくなかで、母親に具体的に出番を要請されることはものすごく多いです。父親の出番なんてまぁオマケみたいなものです。僕は彼女の代わりにしばしば出向くことがあるのですが、実際問題別に父親だって困りはしないんですよね、多くの場合において。でも「お母さん」を要請されるのはどうしてなのか。また父親が行くと「あらー、お父さんですか。どうもご苦労様です。」なんて褒められたりすることもあります。同じことを母親がすると当然のように思われる。そりゃ僕は悪い気はしないですが、彼女にとっては忸怩たる思いですよね。「どうしてあなたばっかり」「わたしだって子育てを仕事でないがしろにしたいわけではないのに」と。どうしても母親でなくてはいけない場面以外は「保護者」という形で父親にも出番を要請すればいいかというと、そうでもない。僕のようにすちゃらかと仕事を放り出して遠足の付き添いに行ってしまったりすることができればいいですが、職場においてそれが許されないひとは、やっぱり「おれだって子育てを仕事でないがしろにしたいわけではないのに」という思いに駆られる。結局のところ家庭内カニバリズムから抜け出せることにはならないのです。

もうひとつは「自己葛藤」の問題。家庭での「父親」「母親」の思いと、職場での「私」の思いをどう折り合いをつけていくかです。僕は朝、幼稚園に下の子を送ってから職場に向かうことが多いのですが、幼稚園の先生やお友達のお父さん、お母さんと会話しているあの世界と、職場の世界があまりにも違いすぎて、そのギャップにしばしば戸惑うことがあります。冷や水をぶっかけられるような感覚とでもいいますか。でもどちらも自分にとっては大切な場所で、それぞれをそれなりに充実させたいと思うわけです。しかしながら、時間の流れ方も支配するルールも違うその世界を自分の中で矛盾なく繋ぎ合わせていくことは、しばしば困難です。例えば。明日までに直さなければいけないバグを徹夜ならやりとげられるかもしれないが、ここで徹夜しちゃったら朝一で出かける家族の支度は誰がやるのか。しかしだからといってバグ取りしなかったら、確実に誰かは迷惑を被るわけで、そういう態度はプロフェッショナルと言えるのか。そんなことではいつまでたっても管理職になれないのでは。でも自分以外に自分の家族のことを気にかけてくれるやつなどいないのだから、そちらをやるべきだ。キャリアとかそんな大層な話でなくとも、そんなことがわりと日常的に発生します。そしてどちらもうまくいくことは、ほとんどの場合においてないのです。

いずれも、それが何かの法律や制度や施策や支援活動で解決されうるものではないように思うのです。

親のニーズ、企業のニーズ、国や自治体のニーズ。それに応えるサービス、商品、制度。そうしてつぎつぎと「解決策」がくりだされてきた。それはたしかに「ニーズ」にもとづくという説得力をもちながらも、なにかを切り捨て、この社会での両立のゆくえにどこかうすら寒いものを感じさせて走り出している。(p.280)

個々が抱える問題が複雑であればあるほど、それを解くのは最終的にはやはり本人しかないように思います(ちょっと冷たい言い方ですが)。社会はその解決を一足飛びに要請するのではなく、理解をするところからはじめるしかないですし、それは立場がどうであれ可能ではないかと思うのです。それが結果的に解決を支援する、その始まりことになるのではないかと思います。

そして「先ず隗より始めよ」ですね。

「あれから15年」

その頃、僕は大学に通うために横浜で一人暮らしをしていました。その日の朝は、友人からの立て続けの電話で起こされました。とにかくテレビをつけて見ろいうので、NHKのニュースを見てみると、飛び込んできたのは空撮で火事と思われる幾筋もの煙が立ち上る神戸の街でした。その友人はまさに神戸が実家だったので、とにかく行けるところまで行ってみると言い残して電話を切りました。
僕の実家は京都だったので、ひとまずは連絡をつけようと電話をかけましたが、まったく電話はつながりません。ニュースでも電話は大変混み合っているので、不要な電話は避けるようにとのことを言っていました。しかし、そのとき電話をかけていた当人たちにとっては、おそらく不要な電話などひとつもなかったのだと思います。誰もが家族が、友人が、同僚が無事であるかどうかを知りたかっただけなのです。
震源地は神戸付近であることは報道されていたのと、周辺の大阪や京都の様子をみる限りでは壊滅的な被害を受けているという様子ではなさそうでした。親のお金で学生の身分となっている僕は、ひとまずは本業を全うすべくそのあと授業に向かいました。夜には家にも連絡が取れ、その日は終わりました。
結果的には、幸いにして神戸付近に実家のある僕の友人および身内の方に亡くなった方はいませんでした。家が壊れてしまった方はいましたが、とにかくそれだけが不幸中の幸いでした。ただ僕自身は、おそらく現地以外にいたその他大勢のひとがそうであったように、その後も普通の生活が続きました。
僕が現地に赴いたのは3月下旬のことでした。春休みでちょうど京都の実家に帰省していたときに、父親の仕事の取引先の方が震災で亡くなり、その法事(お葬式ではないと思ったが...)で新開地まで行く用事がありました。一緒に来い言われ荷物持ちとして出かけました。当時はJRが住吉まで開通していて、そこからバスに乗るというルートだったように思います。京都駅からJRに乗ると、震災から2ヶ月立つとはいえ、列車に乗っている方のほとんどが現地へ向かう方でした。高槻を過ぎ、屋根にブルーシートがかかった家がちらほらと見え始めました。そのときの列車の中の雰囲気は今でも昨日のように思い出せます。ほぼ満員の乗客の誰もが、じっと押し黙り、あるいはひそひそと会話をし、緊張感と疲れが入り混じったようなそんな重苦しい空気が支配していました。僕はこのとき、過去2ヶ月にわたってテレビや新聞から伝えられたものに決定的に欠けているものを受け取った気がしました。
住吉で電車を降り、さらに三宮方面に向かうバスに乗りました。道路は砂埃が舞い、一見なんら変わらないビルの横で完全に瓦礫になり、さらにそのままになってしまっている場所がいくつも見えました。取引先の方が亡くなった現場は瓦礫は片付けられていましたが、それでも「廃墟」というしかし言いようのない状態でした。その方は火事で亡くなられたのですが、ちょうど道路を隔てて向かいには、普通のおうちが外観に大した傷もなく建っていました。道路を隔ててあっちとこっちでまるで景色が違う。そんな場所が本当にいくつかあったのです。その方がなぜ亡くならなければいけなかったのか、父親が言った言葉に同意せざるを得ませんでした。
法事の間、荷物持ちだった私は法事に出ず、湊川公園の付近を少し見て回りました。ボランティアも何もしない私がここにいる資格はないように思いましたが、たまたま来る機会を得たのも神様のお計らいだろうと思い、恥ずかしながら、本当に恥ずかしいと思いながら、小一時間ほど歩きました。
そのとき僕が得た知見などほんとに瑣末なものといえますが、とにかく震災のときに自宅がつぶれないかどうかは生死や被災後の生活に決定的な影響を持つのは明らかでした。僕らは小さい頃から学校で震災時の火事の危険性について散々聞かされてきたので、それに対する怖さというのはありましたが、本当にすっかり建物が壊れてしまう様を見てしまうと、横浜に戻ってからしばらくは「ここで地震がきたら絶対に生きて戻れないな」という場所が街のいたるところにあることを思い知りました。
僕が阪神淡路大震災について書けることはこれぐらいです。おそらく多くのかたが現地に行かれ、復旧に尽くされたことだと思います。ただあの現場の空気を日本中のひとが共有できたのなら、おそらくもう少し防災に対する感覚が変わるのかもしれないと思い、ただそのことだけを書きたくて駄文を書き散らしました。大変失礼しました。改めて震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

「日本辺境論」(内田樹・新潮社)

日本辺境論 (新潮新書)
「はじめに」にも書かれている通り、基本的には新しい話はないのだけど、この本を読んで「日本はどうあるべきか」というようについついべき論として語ってしまうところこそ、まさに日本的思考であるということを知覚しておくことは悪いことではないように思う。
若い世代へのアンケートで、一般論として「結婚すべきである」と思っているひとの割合は多いのにもかかわらず、自分のことになると「結婚はしないだろう」と思っているひとが多いのもやはり同じことなのかも。
僕も基本的にラジカルな考えと言うよりは保守的な考えのほうが多いかな。ただ保守かラジカルかではなく、その考えをどうやって消化しているかが重要だと思うので、あまり日和見に流されずに日々消化に専念したい。