「戦争は女の顔をしていない」(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/岩波書店)

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

もともとこの本を知ったのは、小梅けいとの漫画のほうが先でした。店頭で見かけた表紙に惹かれて「こんな話を漫画で描くひとがいるのか」と興味が湧きました。調べてみると同じタイトルの原作をベースにしているということで、ならばそちらを先に読むべきだろうと思いました。漫画の中の女性は可愛く描かれすぎるので、まずは色をつけないで読みたかったのです。

旧ソ連軍の従軍女性の話というところまでは知っていたのですが、まず表紙に巻かれた帯を見てどきっとしました。解説を澤地久枝が書いているのです。これはホンモノだと思って心してページを開きました。が、すぐにとんでもないものを読み始めてしまったと少し後悔。第二次世界大戦独ソ戦の話というだけで、だいたい内容はお察しです。ただ普通とちがうのは、すべて著者スヴィトラーナ・アレクシエーヴィチがヒアリングした従軍女性の証言で埋められていることです。500ページも。それ以外はありません。出てくる地名もロシアのひとには馴染みがあるのかもしれないですが、こちらはわからないので、地図を見たり、ウィキペディア独ソ戦に纏わることを調べながら読み進めました。

話の内容は様々です。凄惨な戦場の描写もあれば、恋の話や家族の話。彼女たちひとりひとりの戦争、それが青春だった人生がごろりと差し出されているようでした。旧ソ連軍でこれほど多くの女性が従軍していたという事実と、その多くが語られることなく歴史の狭間に封印され、大戦を生き延びて対ドイツの戦いにおいて「勝利した」彼女たちのその後が幸せとは程遠いことに、タイトルの意味を思いました。

途中こんなくだりがありました。

負傷者が運ばれて来た。全身を包帯でぐるぐる巻きにして担架に横たわっている。頭の負傷で、ほんの僅かしか身体が見えない。でもその人は私を見て誰かを思い出したみたいだった。「ラリーサ、ラリーサ」と話しかけてくる。たぶん、恋人なんでしょう。私と同じ名前の。私はこの人と会ったこともないけれど私を呼ぶ。私は、何がなんだかわからずじっと見るだけ。「来てくれたんだね。来てくれたんだ。」私は手を取ってあげました。身をかがめると、「来てくれるって分かってたんだ」そして何かをささやいているんです。何を言っているのか分かりません。もう話せないわ。あの時のことを思い出すといつも涙があふれてくる。「戦争に行くとき君にキスするまがなかった、キスしてくれ」身体をかがめてキスをしてあげる。片方の目から涙がポロッとこぼれて包帯の中にゆっくり流れて消えた。それで終わり、その人は死んだの……  (p198-199)

ふと「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の11話(原作「青年と自動祝人形」)を思い出しました。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のヴァイオレットも従軍した女性です。戦争後に自動手記人形という職を得て人間性を獲得し、元上官のギルベルトとの恋を成就させるお話なのですが、人間性を獲得して行く過程で自分が見た、行った行為に関して悩み傷つくシーンはあるものの、この本で語られる話のようには掘り下げられてはいません。主題が恋愛物語なので当たり前なのですが、もし「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が恋愛物語ではなく、従軍女性とその後という側面から語られたとすれば、ヴァイオレットどのように生き、何を語るのだろうかと、妄想をせざるを得ませんでした。原作、アニメともに今後も掘り下げられることのないだろう、もっと深い彼女の過去や戦場の記憶を少しでものぞいてみたいなら、ぜひこの本を読んでみてください。この秋に公開される劇場版を見る心持ちも変わるかもしれません。