「『国家主権』という思想」(篠田英朗・勁草書房)

「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡

集団的自衛権。いま安倍政権がやろうとしている真の意図は何なのか。それはアメリカ、アジア諸国をはじめ、国際関係にどう影響するのか。表層的な議論を鵜呑みにするのではなく自分の頭で考えたい。と思っていたところ、2014年6月1日付朝日新聞朝刊の「ニュースの本棚」という欄で、篠田英朗(東京外国語大教授(国際関係論))というひと書いた「集団的自衛権国際法」という寄稿に出会いました。

第三国が集団的自衛権を発動するにあたっては、攻撃された国を支援することが第一であり、次に発動が必要性と均衡性の範囲内にあることが要件になる。もちろん政策論として、支援する国の関心がかかわるのが当然である。しかし国際法上は支援国の国益は、集団的自衛権を支える論点にはならない。
「日本国民を助けるために米国に協力する」という議論は、集団的自衛権の正当化としては、本来副次的なものでしかない。

ですよねー。ちなみにこの記事を読む前に安保法制懇の報告書も読んでみたのですが、僕が気になったのは以下の部分

集団的自衛権を実際に行使するには、事前又は事後の国会承認を必要とすべきである。行使については、内閣総理大臣の主導の下、国家安全保障会議の議を経るべきであり、内閣として閣議決定により意思決定する必要があるが、集団的自衛権は権利であって義務ではないため、政策的判断の結果、行使しないことがあるのは当然である。

「集団的自衛権は権利であって義務ではない」、つまり日本がイヤと思えば集団的自衛権を行使しない、対象国を助けに行かないということなのですが、そんなことを言っている国と集団的自衛権に基づいた相互役務を含む取り決めを結ぶわけないので、実際には「政策的判断」に「支援国の国益」が含まれる場合ばかりではないのでは、と思いました。そこへ件の記事を読んだものですから、ああやっぱり自分の疑問はヘンじゃなかった、と腑に落ちたわけです。

で、ここからが本題。ならばもっと理解を深めるためにまずは篠田英朗氏の著作を読んでみようと、最近の代表的な著作「『国家主権』という思想」を読んでみました。が、これが中身はほとんど論文に近くて、通勤の行き帰りに読むのは本当に骨が折れました。後半はやや挫折。この本で初めて「国際関係学」って学問分野が何をしているのかに触れた(笑)というひとにとっては荷が重かったです。

ただ今回の一件でよく言われる「『立憲主義』への挑戦」とはどういうことなのか、多少なりとも理解できたように思います。また日本国憲法の三大原則のひとつである「国民主権」について、その言葉自体は小学生でも習うことですが、「主権」(sovereignty)とは一体何であるかについては、その後の教育でもあまり深くは触れられてなくてちょっと残念だと思いました。「立憲主義」的に考えれば、国民投票法も非常に危うい存在。究極的に人は信用ならないものである、法律の方がまだマシという考えは、過去の歴史を振り返ればあながち間違っちゃいない歴史的教訓なわけで。勉強になりました。