「氷菓」「遠まわりする雛」(米澤穂信・角川書店)

氷菓 (角川文庫)遠まわりする雛 (角川文庫)
誰もが思うであろうその不可思議なタイトルが気になっていたものの、京アニ制作というだけで「いつものあれか」とスルーしていた、その作品。小説にはまって結局アニメを見る羽目になり、気が付いたら Blu-ray をお買い上げ。作品への評価については、遅れてきたファンとして語るべきものは何もないのだけど、僕にとってこの作品の評価を決定付けたのは「遠まわりする雛」の表題作に出てくる千反田のこの言葉だった。

「見てください、折木さん。ここがわたしの場所です。どうです、水と土しかありません。人々もだんだん老い疲れてきています。山々は整然と植林されていますが、商品価値としてはどうでしょう?わたしはここを最高に美しいとは思いません。可能性に満ちているとも思いません。でも……折木さんに、紹介したかったんです」(「遠まわりする雛」より)

僕は地元の京都に残っていればするべき仕事があったのだけど、それを早々に捨てて、結局今でも帰らないでいる。それで良かったのかどうなのかなんて、今となっては考えることに意味はないのだけど、それでも千反田と同じぐらいの覚悟があったのなら、また違った自分を作ることができたのかもしれないと、やっぱり考えずにいられなかった。いまの仕事は大変だけど、もちろんそれに見合うだけの世界を僕にくれていると思う。それは京都に留まっていたら成し得なかったことだとも思う。でもこの言葉にふれて、結局は覚悟ひとつのことで、残念ながら20年前の僕はそこに到達できていなかっただけなのだと、自分を恥ずかしく思い、そして彼女を意味もなくうらやましく思った。
加えて、生まれた場所から離れない覚悟は、それが望むと望まざるとに関わらず、この激動の時代にあってずっと重要な意味を持ってくる、大切なことになるという、はっきりとした予感がある。
だから彼女が何を考え、どう行動するのか。もちろんぼとんどは小説には書かれることはないのだろうけど、これからもずっと見ていたいと思う。