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「フェイスブック 若き天才の野望」(デビッド・カークパトリック/日経BP社)

読書日記

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

正月休み明けの北米出張の飛行機の中で、映画「ソーシャル・ネットワーク」を観ました。映画は映画として面白かったのですが、いったいどこまでが実話でどこが脚色だったのかを知りたくなって、ちょうど日本公開に合わせて出版されたこの本を読むことにしました。著者のザッカーバーグをはじめとする関係者に対する膨大な取材に基づく語り口は、多くの事実を含みながらも非常に刺激的で、映画同様にドラマのような面白さもあり、また個人的には多くの「発見」があった本になりました。

僕は 2 年ぐらい前から仕事上の成り行きでフェイスブックと関わることになったのですが、一緒に仕事をしてサービスをリリースした後でも、彼らのものの考え方(プリンシパルのようなもの)について実は何もわかっちゃいなかったんだと思い知らされました。

僕が個人的に印象に残ったのは以下の一節です。

ザッカーバーグは……フェイスブックが誰かのつくったニュースを追いかけるためのツールではないことに気づいた。フェイスブックはそれ自身の上で、ニュースをつくるためのツールだった。実は、ザッカーバーグはニュースフィードを常にそういう目で見ていた−大切なニュースのリアルな発信源であると。友達のニュースも、世界のニュースも。フェイスブックが2006年にニュースフィードを世に出すずっと前に、ザッカーバーグは正確にどうすればアップデートが本物にニュースになるのかを几帳面に手帳に書き記していた。ニュースフィード「記事」のスタイルシートや文法規則までつくる周到さだった。(p.429)

フェイスブックでは、ユーザインタフェースの根幹をなすニュースフィードに、アプリケーションが記事(ストーリー)を投稿する際に守るべきガイドラインがあります。

Stream Stories - Platform Policies

記事(ストーリー)はいくつかの項目(フィールド)から構成されています。項目(フィールド)は、messasge, picture, link, name, caption, icon, actions などがあり、それぞれ何を入れるべきかが細かく決まっています。

特にアプリケーション自身が自動的に生成する文言を入れるフィールドと、ユーザ自身が入力すべきフィールドは明確に分けられています。アプリケーションが message フィールドに自動生成のメッセージを入れることは禁止されています。またアプリケーション自身がストーリーを投稿する際に、可能な限りユーザが自身の言葉でコメントを添えられるように(つまり message にユーザのコメントが入るように)投稿インタフェースを構成することを要求されます。さらにストーリーを構成するフィールドには「Call to action」という相手に対して何か行動を促すような文言を入れることも禁止されています(actions に入れなくてはいけない)。そしてこれらはフェイスブック上のインタフェースにフェイスブックが決めたように表示されます(投稿側でレイアウトや装飾の指定はできない)。

仕事をしていく中で、彼らはことあるごとにストーリーの内容について、あるいはその投稿のインタフェースについて、事細かにフィードバックを返してきました。時として細かすぎると思えるぐらいにです。

どうしてそこまで細かいことにこだわるのか。僕自身もフェイスブックのユーザで、当時は「Mafia Wars」や「Cafe World」のストーリーがウォールを埋め尽くすのにうんざりしていたので、ニュースフィードをより意味のある読みやすいものにするという意図に基づいたものだとは理解していました。

でもほんとはそんな受け身な話ではなかったのです。

最初からフェイスブックに投稿される記事(ストーリー)は、そのままメディアが作る「記事」と同じレベルになるように設計されていた、ということだったのです。そう考えるのであれば、どれも当然配慮されるべきことばかりでした。「記事」は広告ではないし、そのひとの意思が入ることで、唯一性が生じ、その「記事」の価値が高まるからです。

当たり前のことなのですが、この本を読んでようやく腑に落ちました。